時短営業3年目のコンビニ〜24時間営業だった頃①〜
「24時間営業を辞めたコンビニ」として、当店も今年で3年目を迎えています。
思い返してみれば、シフトの運用変更、発注サイクルの変更、業務の消化方法の変更と業務量の平準化など、とにかく変化に対応することばかりの毎日だったように感じます・・・コロナ禍も同時に到来するのは想定外だったけど(笑)
「これから先もこの店が生き残るために最も有効な経営戦略である確率が高い」
これが、経営者である2人の両親が24時間営業を辞めた理由でした。
その2人の目が見据える先は、「今とか数年後」ではなく、「20年後」でした。当時、両親が経営するお店で働き始めていた私も、同じ意見でした。
今回は、他のコンビニの大多数と同じく24時間営業をしていた当時の、当店の状況について、書いてみようと思います。
1.販売数値の状況
日販→夏場60万円台後半、冬場50万円台後半
客数→夏場1,100人前後、冬場900人台半ば
客単価→600円台前半
・・・24時間営業を辞める前の直近の状況ですが、この数字自体に絶対的な価値はありません。地域によっても平均の数字は変わりますから。
開店からの大きな流れとしては、新規出店後の数年間で近隣の競合するコンビニ数店舗が撤退→その間に、道路工事や大震災等のマイナスイベントによる売上低迷時期を経験→その後は日販、客数ともに右肩上がりが数年間継続・・・といった感じでした。
ここまでの販売数値は、「まずまずだった」という認識です。
立地的には当たりでしょう。開店後数年間は経営上厳しい状況が続いたとはいえ、その後に大きな「マイナスイベント」は発生しませんでしたから。
「競合他店が撤退」という結果も、販売数値が厳しい中での店舗運営が、間違っていなかった事を裏付けています。
その「右肩上がり」の数字が頭打ちをし始め、その後に日販&客数が右肩下がりに転じて来ます。そして、開店当初からずっと「客単価」が地区平均と比較して低い数字であったこと。これが、24時間営業を辞める直前の販売数値の状況でした。
2.職場環境の状況
「経営者、スタッフともに地獄」
当時の当店の職場環境の状況を一言で言い表すと、こうなります(笑)
新規出店当時は、今ほど「人手不足」が話題に上るような社会状況ではありませんでした。スタッフが集まらないお店が無い訳ではありませんでしたが、それほど人手には困っていないお店も沢山あり、当店の地域ではむしろそちらが多数派だったと思います。
開店当初は当店も、「スタッフの募集をすると沢山の応募者が来る」という状況だったと聞いています。今となっては、「夢のような状況」ですね。
・・・そして、「人手不足」という大波は、世の中のトレンドよりもずっと早く、当店に襲ってきました。
経営者である両親2人がシフトの穴を長時間埋めるなんて当たり前、スタッフの募集を掛けても応募者は集まらず、たまに来た応募者も数日お店に入っては辞めていく。
開店当初からのスタッフも数人残りましたが、上記のような状況が続いたことから、その大事なスタッフにも負担が重く伸し掛かる。
そんな状況は自然と「お店の雰囲気」を通じてお客様にも伝わり、そして「忙しそうなお店」として認知され、スタッフ募集への応募者をさらに減らしていく・・・悪循環ですね。
今となっては、「よく聞くありふれた状況」です。どんな業種の職場でも、似たような状況だと思います。
ただ1つだけ当店が他のお店と違ったのは、その「世の中のトレンド」が、ずっとずっと早くに襲ってきたことでした。
「人手不足の大波が他よりずっと早く襲ってきた」 その原因はいくつか予想することは可能ですが、今となっては、それを予想する価値はあまり無いでしょう。
当時も様々な意見を本部から貰ったようですし、他店の経営者の方の意見もあったのでしょうが、現時点で「人手不足」が世の中のトレンドとなった現実があるのですから、当時の原因を分析しても大したメリットはないと考えます。
大事な点は、24時間営業を続けていた当時の当店の職場環境は「地獄だった」ということ、それは言い方を変えれば、「店を回すことで精一杯」であり、「店を最低限回すことが経営上の最優先課題」であった、という所です。
長くなりました。続きは別記事で、「売る力の源泉」「世の中の価値観の変化」について、24時間営業をしていた当時の当店の状況を振り返りながら書きたいと思います。
それでは今日はこの辺で。
このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。
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