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親族に統一教会信者がいた話

はじめに

1990年代前半。
私は当時まだ10代、進路に悩む平凡な学生であった。
平凡な学生の、平凡なある日に突然「親族のうちの1人が統一教会の信者だった」と親から告げられた。
その頃の話をここに残そうと思う。


有料設定してありますが、最後まで読めます。
本文章は、約30年前の私の両親からの伝聞が主な内容であり、長文になってしまう都合上、読みやすいように、まるで見てきたような描写を多用し、自分の記憶と感情を整理した備忘録がベースであります。
不本意に特異な環境で苦労する子供たちについて、思う事があり作成した文章ですが、もちろん犯罪行為を容認する意思とか意図はありません。どうぞよろしくお願いします。


Aさん

まず、この信者の人をここではAさんと呼ぶ事にする。
私とAさんの間に血縁関係はない。
私と血縁関係がある親族Bさんの配偶者だ。

私の親族の大半は、彼らの“地元”で暮している。便宜上、ここでは彼らを「地元組」とする。

Bさんは地元組だ。Aさんと結婚後も地元に残った。
一方、地元から離れて暮らす「遠方組」もおり、我が家はこちら側だ。

遠方組が地元組と直接顔を合わせる機会は少なく、皆で集まれるのは大抵正月だけ。 当然、Aさんと我が家の距離が縮まる機会も少なかった。

結婚後のふたりは子ども数人に恵まれ、正月は年々賑やかになっていった。
親族が皆勢揃いし、笑顔で仲良く食卓を囲んだ時間を私はよく覚えている。
その頃は、親族間の心配事やわだかまりなんてものは、ほぼ無かったと思う。

しかし、物事というのは無常なもので、ある年にBさんは大病を患った。

AさんとBさんの子ども達は、まだかなり幼かった。共働きで、育児や家事もこなすのは元々大変なのに、治療にも臨まなければならない。なので、地元組はできる限りのサポートをした。
しかし、Aさんは占いとか物品購入の勧誘や売り込みを、地元組にしつこく繰り返すようになる。

Bさん

さて、Bさんはどうしていたのか。
Aさんの勧誘活動が活発になった頃、Bさんは治療のために入院していた。

ただ、何か思う事があったのか、Bさんは自分名義の財産の少しを、地元組の親族Cさんに預けていた。病前なのか病後なのか、詳しい時期はわからないが、この事をCさんは全く口外しなかった。

だが、Aさんはこの財産の存在に気が付いた。
そして、1人でCさんの家に押しかけ、Bさんの財産を返せと強く迫った。
しかし、CさんはAさんの要求には応じなかった。
この対立に居合わせたCさんの家族は、なりふり構わぬAさんの態度に耐えかね、単刀直入にこう聞いた。
「あんた、宗教か何かしてるのか?」

Aさんは怒った。「だから何だ。何が悪いのか」と開き直り、年長者のCさんを睨みつけた。その様は、すっかり別人のようであったそうだ。
こうして、「Aさんは統一教会の信者である」事が明らかになった。

病気+カルト

「1つでも頭が痛い問題が、2つ絡んでいる」この事も完全に明らかになったが、明らかになったとて、どちらも解決が簡単にできる問題では無い。
こういう問題に直面したら、きっと急に底なしの泥沼の中に落ちてしまったように思えるだろう。どうしたら抜け出せるのだろうか。

幸いに、Aさんの依頼や誘いに応えた親族はいない。しかし、金銭的な被害は免れても、病身のBさんや幼い子供達の前に、変わり果てたAさんが立ち塞がっている状況だ。
対応に疲れ、困り果てた地元組から電話が入り、遠方組もAさんの状況を把握した。

だが、それから間もなく、Bさんは入院先で容体が急変して亡くなった。
治療経過は良いはずで、誰も予想していなかった突然の事だった。

そして、Bさんがこの世を去ってしまった事で、Aさんと我々の関係も終わった。
Bさんの葬儀からしばらく経ってから、Aさんからの姻族関係の終了の申し出があったからだ。両家の話し合いを経て、Bさんの生命保険金を受け取り、幼子たちを連れてAさんは去った。

解放

これは、私の親族全員、特に地元組にとっては非常に悲しく、悔しい結末だった。
しかし、私は「皆が苦労から解放されるんだ、良かった」と1人心の中で思った。
まだ未成年だった私にはこの一連の騒動に対して、当時出来た事は全く無く、終始歯がゆい気持ちを抱えていからだ。
Bさんとの別れは当然辛かった。私が幼い頃から、いつも誠実に接してくれた優しい方だった。Bさんの一番の心残りは、間違いなく自身の子ども達であろうと想像すると、さらに胸が痛む。
親族の大人たちは皆少し変わってしまったようだった。
私はBさんの葬儀に出席した時に、久しぶりに“地元“に戻ったのだが、その時、親族間には、わだかまりや憎しみ、不安が生まれているのを垣間見た。
ただそれも、Aさんが去った事で「終わる」と思えて安堵したのだった。

その後は、嫌な思い出を掘り起こしたくない気持ちと、メディア等で教団名や話題を聞く機会が激減した事が重なってか、私と両親だけの場でも、Aさんの件を振り返る会話は一度もなかった。地元組と語る事はもちろん無かった。

約10950日後

あれから約30年経ち、統一教会の問題点が再び明らかになり、注目されている。
30年というのは非常に長い。
私はとっくに中年だし、Aさんの件に直接対峙した親族のほとんどもすでに亡くなった。
Bさんの子ども達も概ね30代のはずだ。Bさんの葬式の時、末っ子はまだ言葉を喋れなかった。

約30年前の1990年代も、統一教会の被害が社会問題になり、ワイドショーでは霊感商法や合同結婚式などを連日取り上げていていた。
今と当時の報道で違う事の1つは、成長した元二世信者らが家庭環境の内部事情を語り始めた事だろう。

私の友人に、旧統一教会とは別の新興宗教の二世信者がいる。
この友人の日々の生活は常識の範疇を超えない、平凡な家庭に近い印象だ。もちろん、親と集会に行かなきゃいけないとか、ニ世に生まれて大変そうな印象もあるが、この友人宅はこちらの「信仰しない自由」を妨げるような事もせず、社会に馴染んだ暮らしを営んでいる。だから、こう思っていた。
「信仰は自由だし、親が信仰で幸せを得たと感じ、生活が安定しているなら、子供も幸せかもしれない」

だが、最近の報道やネットコンテンツにより、旧統一協会信者の家庭の状況を知る機会を得て、Aさんのように熱心であればあるほど、子供たちの生活は貧しく、不自由になっていくようだ。という事を知り、Aさんが受け取った保険金の行方と、その後の子供たちの状況は、私の今までの想像と全く違う可能性に戦慄する。

他に最近理解した事は、恐らくAさんも「サタン」という概念に囚われていたのだろうという事だ。家族が地獄に落ちないよう、Aさんは必死だったのか。でも、Aさんの何かしらの不安感に理解を示さず、協力もしない。そんなBさんとその親族の私達も、結局は全員サタンだったのだろう。

そして、私は今、見えなくなった物事を見えないからと言って、考えないようにして来た事に罪悪感を感じている。ほんとうは何も終わってなかった。
親族が泥沼のような状況にハマってから、Aさんと縁が切れ、抜け出て約30年、いまだBさんの子供たちは泥沼の中にいる可能性があるのだから。

幸福欲

先祖や家族に悪人が紛れているような疑心や恐怖心を煽るような話を伝えて、荒唐無稽な救済方法を教える。
それを信じた人間がたった1人いるだけで、私の親族内でも複数の家庭が巻き込まれ、傷ついていった。
信者は、財や信頼や思考や判断などの、あらゆる「力」を奪われつつ、唯一残った不安。それだけを抱え、やがて利己的になり、さらに利己的な思惑の持ち主に気付くことが難しいまま、ひたすらに奉仕する。
それでどうやって、世界平和や家庭の幸せが叶うのか。

もちろん、霊感商法や献金は大問題であるが、金銭被害が発生しなかったとしても、金の無心や勧誘というのは、それまでに培ってきた信頼関係を壊すに十分だ。つまりは健全な社会形成の妨げになり、ひいては反社会的と言えるのではないか。

そういえば、宗教や政治の偉い人たちは、いつも世の中の不公平や不足を提示して、幸福な社会の実現を目指すような仰っている気がする。私達は不幸なのか。幸福になるには、あちこちから差し伸べられている、あれらの手のどれかを握ればいいのか。

でもAさんは、幸福への憧れよりも「不幸が怖かった」。今はそういう気がしてならない。

タイトル: Family Portrait

最後に

最後までお読み頂きありがとうございました。
読んで頂いて、どのようにお感じになりましたでしょうか。
この話は、自分が直接見聞きした事が少なく、重い内容なので、誰かに話すことは殆ど無かったのですが、共有する事に意味があるはずと思い至り、今回書いてみることにしました。私が感じた事が、視覚的に伝わると良いと思い、イラストも自分で描きました

個人的な感覚ではありますが、年齢を重ねるにつれ「考え続ける」という事が生活するにあたって非常に大切だと感じます。まとまりのない文章でありましたが、読まれた方が今回の内容についてなるべく長い間、感心を持って頂き、考えてみて頂けたら、嬉しいです。

ーーー記事はここまでですーーー

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