【ネタバレなし】『シークレット・スーパースター』感想 インド×音楽=感動
(フィルマークスに投稿した感想の転載です)
インド映画といえば音楽、音楽といえばインド映画。そろそろ日本の映画ファンにもそんなイメージが確立しつつある。
本作も突然人が踊り出すレベルではないものの、そもそもが覆面シンガーを題材にしたものであり、作中で多くの魅力的な音楽が流れる。主人公インシアを演じたザイラー・ワシームの歌声は上昇気流に乗る鳥のような伸びやかさで、それを物語のストリームの中で、効果的な形で聞けただけでも観に来た甲斐があるというもの。
少し上映時間は長めなものの密度の濃い物語で、様々な逆境を乗り越えながらも心の強さと機転によって力強く前進していくインシアの姿に胸を打たれる。人の醜さも優しさも描かれた先に待つクライマックスは涙なしでは見られない(自分も含め劇場のそこかしこで泣いている様子が…)
といいつつも、インドの社会問題を背景に取り上げられるテーマは重い。プロデューサーであり、作中でも重要な役どころを担うアーミル・カーンについては恥ずかしながら本作で初めて知ったのだけれど、2013年の「世界で最も影響力のある100人」に選出され、「インドの良心」とも呼ばれる人物。
人間は情報取得の大半を視覚に頼っていると言われる。とりわけ映画という媒体はそこにストーリーという引力が搭載される強力な概念装置だ。
映画で社会問題を描くことは、視覚的表現とストーリーで耕した心に、問題意識の種を蒔く行いであるといえる。
本作で描かれるような社会問題がなくならないのは、「(過去の)社会の仕組み・制度」と「人々のマインドセット」がお互いを強化している関係にあるから、というのも理由の一つ。
その方向性が正しい限りにおいて、社会問題解決のベースを作る取り組みとして映画を選ぶのは、マインドセットの改革という意味で有意義だ。かつてプロパガンダ映画というものが存在したように、取り扱い注意ではあるのだけれど。
また、本作の趣旨に照らせば言いがかりに近いのだけれど、少し気になるのは「もしインシアに歌の才能がなかったら」という視点。
才能ある者は差別に負けずに戦えば報われるかもしれない。しかしインシアの母親の状況を見るに、才能のない救われない人は多分たくさんいるのだろう。そういう人達にも突破口があるのだと見せていくことが、もしかしたら次の課題なのかもしれない。
ちなみに、インシアの日頃の振る舞いについては許容範囲ギリギリでしたね…あれくらいの気の強さが必要というのはわかるのですが、舌打ちが多すぎる…笑
ジェンダーに関する物語でもあるけれど、どちらが悪玉というのでもなくフェアに描いているのも好印象。既存の物語を改変せずにジェンダー要素を埋め込むのではなく、最初から設計に組み込まれているが故の説得力を感じる。
もう少し話題が広がり、大きな映画館でも展開されるといいなぁと思わされる作品でした。IMAXであの歌を聴きたい。