昭和と平成と超獣戦隊ライブマン

令和元年5月1日。

改元は今のところ、予想以上のお祭り騒ぎになったようだ。

元号が昭和から平成へと変わったときの事を思い出してみる。

死がきっかけの出来事だから仕方無いが、あの時は街中が陰鬱な空気に包まれていた。

とはいえまだ幼かった自分はそれをあまり実感できなかった。

唯一その空気を感じたのは、当時放映されていた特撮番組「超獣戦隊ライブマン」に関する出来事である。

超獣戦隊ライブマンは昭和63年に放映を開始した。主役側には嶋大輔、森恵など当時の芸能界で華々しく活躍していたタレントに加え、新人として俳優の西村和彦が参加していた。

特撮をきっかけに人気に火がついた俳優は多いが、既に人気の出ている芸能人を主役に据えるケースは珍しいのではないだろうか。

私はこの番組が好きでよく見ていたが、親はそれに良い顔をしなかった。

「女の子が戦隊物なんて見る物じゃない」という時代錯誤な思想故ではなく、弟が怖がるからというのがその理由であった。

ライブマンは戦隊史上トップクラスに暗い作風の物語だから無理もない。さらにその頃の戦隊物はいわゆるニチアサタイムではなく、夕方の6時ごろに放送されていた。薄暗くなってゆくあたりの光景が、そのストーリーの重苦しさに拍車をかけていた。

その超獣戦隊ライブマンが、ある時テレビに流れなくなった。

チャンネルを回してもよくわからない番組に変わっている。

がっかりしている私に両親はこう言った。

「この番組、きっともう終わっちゃったんだよ。」

両親は適当なことを言ったのではなく、本心からそう言ったのだと思う。

昭和の終わりは日本中が白と黒になっていたのだ。「迎春」と書かれた看板は剥がされ、新春初売りなどのイベントは軒並み中止。街に流れるBGMは葬送行進曲だったという。

そんな中で子供向け番組、しかもある程度の暴力描写がある物が続くとは思わなかったのだろう。

私はライブマンは打ち切りになったと信じたまま、その視聴を終えた。その後、大人になるまでライブマンの再配信は叶わなかった。

出演俳優が大物すぎてギャラ交渉できないとか、嶋大輔が一時期消息不明だったとか、そういう理由でもう二度と世に出せないお蔵入り作品だとまで言われていた。

超獣戦隊ライブマンとの再会は平成27(2015)年まで待つこととなる。まずニコニコ生放送で公開され、その後レンタルDVDも登場した。

ライブマンは誰でも見られる作品となった。

改元と特撮の関わりは、あの頃とは全く違ったものとなった。

令和初の戦隊はどのようなシリーズになるのかとか、令和ライダーと平成ライダーの共闘映画は出るのかとか、純粋に新しい番組が楽しみで仕方が無いというファンの声が聞こえてくる。

初投稿:2019年5月1日 8時31分
ShortNoteより転載

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