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子どもの時と比べて考える空想のストーリーが劇的につまらなくなっている理由

※熱くなって、話がちょっと取っ散らかってますが、許してつかあさい。

子供の頃から、自分の世界に入っては空想のお話を進めていくのが大好きで、長い長い登下校中や授業中はずっとその空想の世界を、まるで雲が流れるかのように少しずつ、着実に作り続けていました(良い子はマネしないでね)。
最近でも、昔完結させた自作ストーリーで、この時期にこういうやり取りがあったことにしよう、という「とある時期での新しいやり取りを補填する」作業を繰り広げています。伝わるかな・・・
で、より盤石なあやさとワールドが現在進行形で築き上げられているのです。

そして大学生の時、あやさとが自作SRPGゲーム「Gaining Fate」を手掛け始め、あやさと処女作にふさわしい傑作ストーリーを生み出してやろうと意気揚々にスタートしたのですが、そこで創作の洗礼を受けることになります。

ぶっちゃけ余裕だろうとおもって考えた話が、まったくうまくいかないのです、妥協を重ねて何とか整合性を取れるストーリーを作ったものの、面白いか、心躍る作品ができたかと問われると、決して首を縦には振れません。
なぜ?
いつも青春時代に培ってきた創作のポテンシャルが、どうしてこんなにも発揮できない?
数日前、その答えが見えた気がするのでここで公開します。

なぜあやさとの考えたストーリーが面白くないかと考えると、とあるTwitter(現X)のバズリツイートに答えはありました。
それがこちら・・・・と言いたかったのですが、システムエンジニアあやさとの検索力をもってしても見つからなかったので、引用を諦めてざっくり説明すると、
売れる作品と売れない作品の違いは、「この場面ならこのキャラはどう考え、どう行動するか」の正解が分かってる作者が作っている作品が売れる作品だという話でした。
いわゆる「キャラが勝手に動く現象」です。
漫画『バクマン』の天才漫画家、新妻エイジも同様のことを言っていたことを思い出すあやさと。

まさにこれだったのです。
あのときのあやさとジュニアにあって、今のあやさとにない感覚が。
今のあやさとは「好きなキャラが、こういう状況でどう動くかが明確にわかっていない」のです。
ではなぜこのような現象に陥ったか?
理由を考えたのですが、3つ出てきました。
① 整合性を求める悲しい「大人」になってしまった
② 以前よりキャラのことを考える「のめりこみ力」が足りなくなった
③ 単純に世界の構成ができきっていない
という悲しい悲しい現実が浮かび上がってきました、全部説明していると字数があれなので、今日は①だけ説明しようかなと。
時間と意欲があれば②、③も書きたいなと思っています。

① 整合性を求める悲しい「大人」になってしまった

ぶっちゃけ、これが一番大きな原因です。
過去にあやさとの執筆した嘘偽りない考察記事が、悲しいほどにその現実を突きつけています。
その過去作がこちら。

まとめると、あやさとは作品の面白さのベクトルが「感覚」から「理屈」に変化してしまった、という事です。
あえてわかりやすく大雑把にまとめると、作品の楽しみ方には2種類あって「感覚」の楽しみ方、「理屈」の楽しみ方があると私は考えます。
視覚的に、それかキャラの魅力などを肌で感じて興奮する感覚型と、ストーリーに「意味」を探し、深いメッセージ性や練り込まれた綿密なストーリーにこそ面白さを感じる理屈型。
もちろん、たいていの人はそのどちらか一方の楽しみ方ではなく、どちらの感性も持っているでしょうが、その比率は年を取るにつれて変化してきます。大人になるにつれて人は作品に「意味」を求め始めるのです・・・

以前「俺は自分のゲームを世に生み出すつもりなんだ!」と言い放ったあやさとに、とある大人がこう言いました。
「それをやるんなら、針の穴を通すような緻密なストーリーを練らなければいけない、これがこうなってこうなって、と作る前に全部プロットを練って作り上げないといけないんだ」と。
別に間違っているわけではありません、作品に対してそういう楽しみ方というか、愛で方もあるでしょう。ですが、今のあやさとにその創作方法がマッチしていなかっただけなのです。
ぶっちゃけ、私は他の万人が「面白い」「完璧な作品」と認めてもらうより、自分が「最高に面白い」と思ったものを、同じ感性を持った人に届けたいという思いが強いのです、資本主義のこの社会ではそういう「非合理的」な考え方は悪とされるみたいですが。

厄介なことに、あやさとはゲームを作る絶好のタイミングで「大人」になってしまいました。以前まで見ていた「感覚」で楽しめる作品が、今見返したら薄っぺらいストーリーであったことにがっかりし始めた時期に、ゲームを作り出してしまったのです。
それであやさとがストーリーを始めるときに何より重視したのは「設定」でした。
とにかく重厚なストーリーを、それでいて絶対に破綻していない完璧なロジックを積み立てた予定調和にこそ、傑作が生まれるものだと信じきっていたのです。
もちろん緻密なストーリーによって大成功した作品もありますが、あやさとはそれを意識するあまりにキャラクターの「声」を、「感情」を二の次にしてしまいました。
キャラを人としてではなく、自分の書いた完璧なシナリオを演じる「役者」のような存在として扱っていた部分がどこかにあったのでしょう。
それゆえに、自分が描いたゲームの出だしは、キャラクターをあやさとの理想よりはるかに無機質なものにしてしまったのです。

ただ、ネガティブな面だけではありませんでした。
破綻の無い完璧なストーリーをつくろうと心掛けたおかげで、「Gaining Fate」に確固たる世界観ができたのは事実です。
あとは、まだできていない「キャラクターに、命を吹きかける作業」を一番に意識してこれから作る必要があるなと、あやさとは考えます。
この時、このキャラならどう発言するか。
それが肌でわかるようになるには、自分の作ったキャラとはいえ一朝一夕で出来るものではありません。日ごろから世界を構築して、キャラを頭の中で動かさないといけないと私は考えます。みんなに見せるストーリーはその中の一部を見せているにすぎません。
皆に見せていない9割の部分を作りこめるかどうかが、今後あやさとの作る作品が面白くなるか、ならないかの境界線になるんじゃないかと考えた一日でした、おしまい。


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