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表情には責任が伴う。笑顔でいる責任。

先日、とあるセミナーでワークをして、それをペアでシェアする時間があったのだが、ペアの相手が明らかにのっけから機嫌が悪かった。(と私は解釈した。)

まるで「別に。」発言で干されてしまった沢尻エリカさんの舞台挨拶のような態度を取られてしまい、話が全く続かなかった。大抵はお互い「話し足りない」となるシェアタイムの残り時間が、この時ばかりは地獄に感じた。2人の間に流れる張り詰めた時間を乗り切ろうと、私は明後日の方向を向いて無意味にニコニコしてやり過ごした。「熊に会ったら死んだふりする」と同じように、私は「気まづい時間はアホになる」ことに決めている。でも心はザワザワしていた。「私何かしてしまったかな?でも、何かする暇もなく機嫌悪いしな。怖いなー。気まづいな…。」1日セミナーの終盤だったが、その後は心にザワザワを抱えたまま過ごし、懇親会も楽しみきれないと判断したので途中でおいとまさせていただいた。早く帰って、シャワーを浴びてヨガして瞑想して寝たいー!と、十分電車もある時間だったのに、タクシーで帰ってしまった。

そのぐらい、私は人の機嫌に引っ張られやすい。克服したいところではあるが、本件でまだまだだなあ、と実感した。

あとで主催者に確認したところ、「あの人は怒っているように見えてもそうじゃないから、大丈夫だよ。本人からもセミナーの開始前にそう聞いた。」と言われた。
それを聞いて「私が何かした訳じゃなかったのか」という安堵感3割、ドキドキしたり悲しくなったりしたこの気持ちどうしてくれるのー!?的な気持ち7割、だった。まあ、悲しくなってしまったのは私の問題であるのだが。

昔から、その場の空気に過敏だと思う。過敏がゆえに少しでも緊張を感じると緊張に引っ張られて、自分も緊張して緊張を加速させてしまうことも・・・。日々、そんな失敗を反省しながらも、周りの人に自分の表情が与える影響力を感じている。

表情には責任が伴う、表情は場を作る。

高校卒業時の寄せ書きあたりから「あやちゃんがいるとその場が明るくなる」と書いてもらえるようになった。大学でチアをして、笑顔のパワーを学び、もう20年ぐらい「あなたがいるとその場が明るくなる」と退職の際とかに書いてもらえる私の定番ワードになっている。これは華があるとかじゃなくて、単純に機嫌良くいること、機嫌良く見えること、を心がけているからだと思う。

無理に笑顔を作っていたことも正直沢山あった。心底傷ついていた時期に近くにいた人に、後々「実はあの時そんな時期だったんだ」と話すと「そんな様子は微塵も見せず明るかったね」「悲壮感が全くなかったから、全然気が付かなかった」と言われた。確かに、あの頃は鏡に映る自分をみて「よし頑張ろう!」「笑顔!」と言い聞かせて笑顔を作ってドアを開けていた。

今思うと、自分の心に嘘をついた笑顔はよくないと思う。

でも、無意識に人を無闇に傷つけてしまう表情もまた良くないと思っている。これは信念レベルで思っている。他の人がどうというより、自分がそうなりたいくない、と思っている。

「あなたはここにいてOKですよ。」とか「今日って楽しいよね!」という相手を安心させるメッセージを表情で出していきたい。

最近は、自分の心に嘘をついた笑顔は自分のエネルギーが削がれて、自分が与えたい人に与えられなくなってしまうので、無理はしないようにしている。逆に「はあ?何言っちゃってんの?」とか「あなた、苦手。」って時は意識的に表情に出している。ノーを伝えることも大切だからだ。これは、相手への誠実さもあるが、真の意味は、私の中の私への責任、だと思う。

表情には責任が伴う。
私には笑顔でいる責任がある。

(おしまい)

◆日経クロスウーマンでもブログを書いています

◆キャンプしながらLIFEを考える






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