見出し画像

森の中で。解像度を上げるってこういうことか。

「森で一人で佇む」
と聞くとどんなイメージを持つだろうか?


・・・静寂。


そんなイメージを抱いた方は・・・森へ、行ってみよう(笑)

***

昨年9月にガイアックスという会社の社員合宿にロミロミの講師として参加した。その中の合宿で提供された講座の1コマで森に入って一人ただ佇む、というコンテンツがあった。場所は軽井沢ライジングフィールドというキャンプ施設内の国立公園。過去に2度、The Life Schoolというイベント主催者としても利用した勝手知ったる所だ。昔からキャンプやアウトドアにも馴染みがあったので、お決まりの「熊や森の動物達も沢山いるから気をつけてね。」の言葉は「はいはい、いつものやつね。」と聞き流すぐらいだった。
でも、森の中で何にも守られていない状況で一人佇む、というのはものすごく久しぶりか、もしかすると初めてのことだったかもしれない。当初は、森で静かに一人の時間を過ごして内省を深めよう、なんて思っていた。

が、しかし、今回森で90分ほど、一人で佇んでみて分かったこと。

それは、
止まっているものが何もないこと。
何も聴こえない時間は一瞬もないこと。


森を遠くから眺めていると、それはとても静かで穏やかでピタリと時間が止まったようなイメージだった。実際友人と行ったキャンプで、焚き火で燃やすための木を取りに森に入ったときも静かで鳥のさえずりが聴こえるぐらいに思っていた。

でも本当はそうじゃなかった。

一人で誰とも話さず、iPhoneも見ず、ただ森に入る。
ここかな、と思う場所に座ってみる。

そうすると止まっているものや静寂を見つけようとすればするほど、それは見つからず、木々の葉がさわさわと風に揺られ、それとともに音を発することに気づく。足元に目をやれば、つい今しがたまでは存在を認識していなかった小さな小さな虫が、堂々と自分の目的に向かって進んでいることが確認できた。

あれ?全然静かじゃない。
むしろ、森の中のあらゆるものが「私はここにいるよ。」と自己主張して浮き上ってくるかのようだ。

画像1


「解像度を上げるとはこういうことか」
そう思った。

全身で"今、森にいることを感じる"。
しばらく、それが嬉しくてあえて焦点を合わせず、空間を広く見るようにし(後にスウェットロッジでそれをキツネの目というらしいことを知った。)、自分が何を感じているかを観察していた。

そしてどのぐらいの時間が経っただろうか、私は認識した。
「あれ、私ここで完全アウェーじゃん。」
このまま数時間もして、日が暮れたら、いやこうしている今も、この森で一番弱いのは間違いなく私だ。そう思うと急に怖くなってきた。
座っていた倒木の上も急に居心地が悪くなってくる。そして全てが襲いかかってきてしまったらどうしよう、とソワソワする。

そう気がつく前までと、その後では何も変わっていないのに捉え方が変わると世界が変わって見える。

そうしてビクビクしていたら、ほどなくして背後から
「サワサワサワ」と忙しく草を搔きわける音がして
「ドドドドドド・・・!!」と何かが近づいてきた!!!

「わっ!熊?!」と思ったが声は出ず、反射的に座っていた倒木から腰を上げて立ったのが後か先かぐらいに

私の膝を越えたぐらいの高さの茶色い動物が私の右の真横をすごい勢いで通り過ぎ、すぐに続いて一回り小さいサイズの同じものが通った。

「おおお・・・」

と私はビビりまくって硬直した後に、あ、イノシシだったー、と熊じゃなかったことに安堵した。
でもその後もイノシシでも十分怖かったので、なかなか落ち着いて座れず、立ったまま時間が過ぎるのを待ってから集合場所まで戻った。

***

画像2

今振り返ると、最初に静寂を探したのは私の中の正解を探しにいったのだと思う。でも、すぐにそれが間違いで、止まっている時間、何も聞こえない時間は一瞬も無い、と教えてくれたのは私の「本能」だった。「いやいや、あなたちゃんと状況を認識しなさいよ、アウェーだよ」ということだったのだろう。

そして変な話だが、森でのリアルをちょっとだけ体験したことで、なぜかふと降ってきた思考は「なるほどー引き寄せってこういうことか」だった。いわゆる、量子力学の話だ。勝手に止まっていると思っているだけで、全ては動いている。それを垣間見た時間だった。

(おしまい)

◆気がつけば明日だっ!!!
ビジネスパーソンのための
"ありたい自分"になる マインドフルネスワークショップ
1/17(金)19:00-21:00 (18:30開場)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?