見出し画像

自己肯定感を上げるために口ずさんでいたノーテンキソングとブッダの第一声。

これまでnoteやTwitterで母のことを書いてきて、さも子供の可能性を無限に広げるできた親だ、という印象を持ってくださる方もいるようだ。だが、実際はそんなふうに完璧だった訳では無い。のびのび育ててくれた実感はある一方で、無意識に傷ついていたこともある。(だれも悪くないやつ。)

例えば、私は3月生まれで、背も低く痩せっぽっちで、運動能力が低かった。そんな話が出るたびに「あやは3月生まれだから」と言われ続けていた。母としては、「3月生まれだから人よりちょっと遅いだけなんだよ」とかばって言ってくれていたのだと思うが、私には「3月生まれの私は同じ歳の子よりできないんだ。劣っているんだ。」と思うようになった。

そんな時、NHK教育テレビでかかっていた歌に感動して泣いてしまった。

「だれにだっておたんじょうび」だ。
(歌詞はこちら)

この歌は、だれにだって平等に誕生日があり、それはとても大切な日で「イエーイ!」と祝うべきことである、と教えてくれた。特に気に入っていたのは、「1月生まれー!」と呼びかけられたら、その月の人が立ち上がって「はーい!」と元気よく返事をするところだ。誰も家にいない時は、よくコタツの周りを回りながらシャウトしていた。自分の「3月生まれー!」の番が回ってきて「はーい!」と答える時は、まさに歓喜。全身を使い、全てを出し切って「はーい!」と答える。でも即座に次の月に移っていく。その無常感も軽快で良い。

そして、これが4月始まりじゃなかったことがまた嬉しかった。誕生日の遅い早いという基準が外され、一人一人の誕生日を個としてそのまま取り上げてくれる。この歌はまさに私が必要としていた歌だった。

それから私は、「うう、なんだか辛い・・・」と思う時、この歌の「みんな持ってる、みんな持ってる、みんな持ってる、みんな持ってる、大切な日。今日は◯◯ちゃんの、お誕生日。1月生まれー!」と心で口ずさんで自分で自分を励ましていた。ちなみに「◯◯ちゃん」の「◯◯」のところは、自分を入れることはなく(なぜならその日は自分の誕生日じゃないから)、架空の人物の名前を入れていた。そして自分の誕生月以外のところの呼びかけでは、誕生日を知っている友達や架空の友達を想像して歌っていた。
ポイントは、自分が特別、ではなく、誰でも等しくこの世に誕生した日があるという事実だった。それに対して「誰がどう思う」という解釈や、無駄なエピソードを加えることなく、ノーテンキに「イエーイ」と言ってくれるところがとても良い。誕生日を祝うことに、理由なんて無いのだ。

今思い返しても、この歌は秀悦だなーと思う。

マインドフルネスのルーツである仏教には、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と「知足 (ちそく/足るを知る) 」という言葉がある。
この歌はまさに、「自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊い(※1)」という天上天下唯我独尊の考え方と、「生まれながらに大切なものを持っている」という、知足の第一歩ともとれる意味を含んでいるでは無いか。(しかも、前者(天上天下〜)は、ブッダが誕生したときに放ったお言葉、とのことだ。)

つまり、自分を肯定することに、理由はいらない、ということだ。

この歌、深くて励まされるんだけど、ノリはノーテンキで大好きだったなあ。また聞きたいなあ。
と思ったら、YouTubeで歌ってくれてる人がちらほら(※2)。(感涙)

その後成長とともに、自己肯定感アゲアゲソングは変わっていったのだが、それはまた別の回で。

あなたの自己肯定感、アゲアゲソングはなんですか?

(おしまい)

※大谷大学HP>読むページ > 生活の中の仏教用語 より引用

※2
▼プリキュアも歌ってくれとる。私のために、どうもありがとう。

(本当におしまい)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?