若林さんは音楽経験がないのに、超コアなラップ好きである理由
ラップなどの音楽からオードリーに興味を持った人にとって、若林さんの音楽事情には矛盾を感じるでしょう。
オードリー若林さんは日本語ラップが好きで、miwaさんや星野源さんとコラボで自作ラップを披露しています。
オードリー若林さんのラップの話を聞いていると、90年代ラップを生で聞いていた、音楽業界でも知る人ぞ知る、超コアなファンであることが分かります。
もちろん、歌詞だけではなくトラックもちゃんと聞いています。
DJ松永さんと対等に会話出来ていることから、専門的な音楽用語もしっかり把握していることが分かります。
一方で、オードリー若林さんは音痴であるのは有名な話。
部活動もラグビー部・アメフト部とゴリゴリの運動部でしたので、楽器の経験も全くありません。
では、なぜオードリー若林さんは音楽経験が全くないにも関わらず、ここまで詳しいのでしょうか。
それは、オードリー若林さんの家庭環境に理由があります。
オードリー若林さんのお父さんはバンドマンだった。
若林さんのお父さんと言えば、ラジオのエピソードから阪神ファンで破天荒な印象が強いです。
なぜそんな破天荒な性格が許される環境だったのか。それにはハッキリとした理由があります。
それは、オードリー若林さんのお父さんはバンドマンだったからです。
大学のときにアメリカのカントリーソングのコピーバンドをやっており、バンドの花形であるギター・ボーカルをやっていました。
プロにスカウトされるほどの腕前があり、色んなところに回っていたそうです。
作詞作曲の才能がないのでプロを断念しましたが、仕事に就いてからも趣味として音楽を続けていました。
若林さんが高校生の時にも、朝っぱらからギターを弾いており、エレカシやKinKi Kidsなどの当時若い人が聞くような曲も、レパートリーとしてあったそうです。
オードリーが売れてからは「オヤドリー」という名前のバンドもやっていました。
そのようなお父さんの元で育ちましたので、オードリー若林さんは普段から「音楽を探して聞く習慣」があり、その流れで日本語ラップにたどり着いたと考えられます。
また、お父さんのギターを聞きながら成長した影響からか、歌詞だけでなく、バックの楽器音もしっかり聞いています。
オードリー若林さんがDJ松永さんのトラックを褒めているのは、そういうところから来ているのかもしれませんね。
シマキとサトミツの影響で、2000年代のロックバンドに明るい若林
最近はあまり語られることがないですが、若林さんは年齢の割に音楽の趣味が若いです。
特に2000年代のロックバンドに明るく、売れ始めたころに出演していたラジオでは「変拍子とかの感じのが結構好き」と発言しています。
アナログフィッシュは「SHOWが始まるよ」の作曲を依頼しており、ZAZEN BOYSやアジカンのファンであることを公言しています。
特にチャットモンチーは、メジャーデビュー前の関係者お披露目ライブに行っていたほどのコアなファンです。
それらの背景には、サトミツの影響も強いらしく、くるりのCDなどを貸し借りしていたようです。
また、アメフト部の同級生で音楽ライターをやっている「シマキ(本名はしまかげ)」の存在もあり、若林さんを「多分これ好きだから」とZAZEN BOYSを教えてくれたようです。
ちなみにシマキは、オードリーが売れない時代ず~っと応援してくれた友人だそうで、学生時代、海砂利水魚のライブにも一緒に行ったことがあります。
若林さんの話によると、今ではロックバンドをあんまり聞いていないようですが、少し下の世代の音楽知っているのは、親近感がありますね。
今後はオードリー若林さんの音楽活動もあり得るかも
このように音楽に精通している若林さんですので、今後は若林さんの音楽活動もあり得るかもしれません。
一番ありえるのは「作詞活動」です。
ラップでの実績は既にあり、エッセイストとしての一面もある若林さんですので、若い人に突き刺さる詞を書くのは得意分野です。
すでに日向坂や秋元康さん、星野源さん、アイドルをプロデュースしている佐久間さんのコネが既にあります。
実はオファーされていたけど断っていた、なんて可能性も否定できないでしょう。
また、田村淳さんが「正解は1年後」をきっかけにギターをやり始めたように、ひょんなことからギターを演奏するオファーがくるかもしれません。
ひょっとしたら、フォークソング歌手のお父さんの血を受け継いでおり、人一倍早く習得し、才能が開花される期待もさせてくれるのが、若林さんらしいところです。
今の段階では、ラップ活動以外の目立った音楽経験がありませんが、可能性がいっぱいありますので、今後に期待したいですね。
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