見出し画像

澱まず、腐らず、自分を「よい状態」にしておくために選ぶこと・選ばないこと

吉本ばななさんが2023年5月に出版した『小説家としての生き方 100箇条』を読みました。「昭和・平成・令和を通し、一流小説家として活躍し続ける吉本ばななの生きる流儀」というコピーの通り、彼女が小説家として生きるために大切にしてる流儀が100個書かれた本です。

私はライターのすなくじらさん(@nerenai_yoruni)が書いた記事『“働きたくない”人に読んでほしい、吉本ばななの仕事の流儀100箇条』を読んでこの本の存在を知り、すぐさま読み始めました。

私は小説は書きませんが、文章を書いて生計を立てているライターです。同列に語るのはおこがましすぎますが、『小説家としての生き方 100箇条』の中にはものを書く人間に刺さる金言が散りばめられていました。

100箇条のうち、とくに私に響いた7つを抜粋して紹介します。

よく食べて、よく寝て、よく笑い、よく泣く。
書くのは複雑な作業だから、自分自身はシンプルに生きることを心がける。

書くことを20年近く続けていると、自分のコンディションにかかわらず、「それっぽい整った文章」を書くことは割と容易になります。そうした文章は上っ面はきれいで当たり障りないけれど、奥行きがありません。

頭をクリアにして、ちゃんと一定の深さまで潜っていって文章を書こうと思ったら、心と体を健やかにして、つっかえをなくし、言葉や感情の出入りがスムーズになるようにしないといけない気がします。

ちゃんと食べて、寝て、表情と感情をなるべくリンクさせるのが大事。

モヤモヤする仕事はしない。
大切なものが減るから。

「モヤモヤするけど、できなくはない仕事」って結構ありますよね。楽しくないし、これをしてどこにたどり着けるのって思うけれど、やればお金はもらえるし、しんどいってほどでもないから、なんとなく引き受けること。

一見、何も減っていないような気がするけれど、大切なものが減っていると思うと、ドキリとします。もしかしたらそれは自分の「世界の切り取り方」かもしれないし、自分を自分たらしめている尖った部分かもしれません。

尖った部分に目の粗いやすりをゴシゴシかけてつるつるにしてしまったら、ものを書く人間として取り返しがつかなくなりそうで怖いです。

養うものを持つ。
植物でも、犬でも、車でも、金のない仲間でもいい。
自分だけだとどんどん視野が狭くなるしケチになる。

「養う」というと大げさだけれど、うちの猫たちが窓際でひなたぼっこしながら気持ちよさそうに寝ている姿を見ると、「少なくとも、私はちゃんとこの子たちにご飯と快適な空間を与えられている」と感じられます。

だれかにご飯やお酒をご馳走してよい時間を過ごせることは、決して相手が得して自分が損してることじゃないんですよね。「ちょっとは(あの子の)役に立てている」という感覚は、世界と自分をつないでくれる気がします。

蒸した野菜をシンプルに塩で食べる

心身に入れるガソリンだから、食べものには気をつける。
澱んだものばかり腹に入れると文章が腐る。
だから安くて新鮮な野菜や肉が買えるところをいつも知っておく。

最近ダイエットをしていて、「あすけん」というアプリで、日々のカロリーとPFC(たんぱく質・脂質・糖質)バランス、野菜の摂取量(目標1日350g)を記録しています。

体重と体脂肪率を下げることが目的で、外見的な美しさを求めてのことですが、加工品やジャンクフードをなるべく減らして、シンプルに焼いた肉や魚、豆、芋、根菜や葉野菜、果物などを食べていると、思考がクリアになっていく感覚が得られたのは、嬉しいオマケでした。

思考が便秘状態にならないというか。腸脳相関という言葉があるように腸と脳はリンクしていて、食べ物も文章も言葉も「体内に入れる」「吸収する」「出す」のサイクルがきれいにくるくる回っている状態が、自分にとって「よい状態」なのかなと思います。

たくさん歩く。
ずっと座っていたら、書くものが澱むから。

これもダイエット目的で、最近意識的にウォーキングする時間を持つようにしています。放っておくとずっとPCに向かって座りっぱなしなので、ちょっと離れたお店や図書館に行くとき、車を使わずに歩いていくようにしたら、歩いた後はなんとなく頭がすっきりするなと感じました。

「どこかに行くため」じゃなくても、食後に近所をぐるっと散歩して帰ってくるだけでもいい。

たぶんPCに向かっているときは視覚情報(文字情報)過多になっているのが、外に出て歩いていると五感を使うので、インプットの経路が分散されるのかも。匂いとか、温度とかで季節の移ろいを感じられるのもいいです。

おいしいものを、美しいものを、快いものを、
いつも近くに置いておく。
いつでも触れられるように。
生きる力を思い出せるように。

「○時まで仕事をしたら、とっておきのおやつを食べよう、こないだ買ったおいしいお茶も淹れて」と思えるから、なんとかやっていけるのだと思います。あと、猫ですね、猫。猫を触ったり吸ったりして元気をもらってます。

気のいいもの以外にはなるべく触れないようにする。
そうでないものは自然界にも人間界にもたくさんある。
わざわざ近づく必要はない。
汚れた見た目でも気のいいものはたくさんある。
美しくても汚染されたような気の悪いものもたくさんある。

もっと若いころは、なんとなくしっくりこない相手や物事に対しても、「私しだいでよい関係性に持っていけるはず」「この人と話すとなんだか疲れるけど、良好な関係を維持するには多少はこっちも我慢しないと」みたいに思っていました。

でも、年齢を重ねたせいか、最近は、違和感を覚える相手や居心地の悪さを感じる物事と「縁が切れないように」頑張る必要ってそもそもあるのかな?と考えています。

打っても響かない相手に対して打ち続ける行為は、しんどいし、消耗するし、自分を「よい状態」から遠ざけてしまう。「気のいいもの」がどんなものかはっきりとはわからなくても、自分の「なんかやだ」「なんか心地いい」という直感に従ってもいいんじゃないかな、と思います。

世界は広いし、まだ出あってない「いいもの」はたくさんありそうだから。

自分を「よい状態」にしておくためには、「何を選ぶか」だけでなく、「何を選ばないか」というものさしを持っておくことが肝心な気がします。

#ウェルビーイングのために  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?