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相手の好意をしっかり受け止めること、 役に立とうと思いすぎないこと。

本記事はブログ「ayan's style」に2015年に書いた記事を移行したものです。

サイト/ブログ運営やSNSを続けていくと、いろいろな出会いがあります。

ネットの世界には(リアルな世界と同じく)いろいろな人がいるので、全部が全部よい出会いとは言えないかもしれないけれど、たまにきらっと光る出会いがあります。最初から光っているものもあるし、やりとりを重ねていくうちに輝きを増すものもあります。

私も今まで両手では数えられないほどの素晴らしい人たちと出会ってきて、たくさんのものを受け取ってきました。

相手が私のために時間を使ってくれたり、お金を使ってくれたり、エネルギーを使ってくれたりすると、すごく嬉しいのと同時に、不安にもなります

「こんな素晴らしい人にそれだけのことをしてもらう価値が私にあるのかな?」「いったい、どうやってこの恩を返せばいいんだろう……」

自分が誰か(好きな人たち)を喜ばせようとするときは、純粋に100%好意で行動できるのに、反対の立場になると途端に落ち着かなくなってしまう。それって一見腰が低くて、謙虚なように見えるけれど、よくよく考えてみれば好意を行動で示してくれる相手に対して失礼なことかもしれません。

その人たちのことを「どこかで見返りをあてにして行動をしている人たち」と考えているってことだし、「ずうずうしい人、与えてもらうのを当然だと思っている人だと思われたくない」という心理もゼロとは言えません。

でも、もうそういうのはやめようと思いました。

あの人たちは、私に何か恩返ししてほしくて、そういうことをしてくれているわけじゃないはず。その人たち自身が、これまでの人生でやっぱり誰かから何かを受け取っていて、それを別の誰かに渡すことが自分の務めであると考えている気がします。(ペイフォワードみたいな)

もしくは、(これは言葉に出すのは抵抗があるのですが)私のことを多少なりとも好きだと思い、信頼してくれているのかもしれません。

先日、尊敬する友人のひとりに、こう尋ねました。

「どうして○○さんは私にそんなに良くしてくれるんですか?」

その人の返答は、

「え、みんなそうじゃないんですか? 聞かれたことに答えているだけですよ。もちろん、ayanさんのことを信頼しているというのはありますが」

というものでした。びっくりするくらいストレートで他意がない返答。その人は、そうするのが当たり前だと思っているようでした。

また、別のある友人はこう言ってくれました。

「ayanちゃんが喜んでくれているのを見られるのが嬉しいから」

すごく嬉しかったです。自分自身に価値があると本心から認めるのは簡単ではないけれど、そこを超えないと上の段階に行けない気がします。

私の好きな人たちは、私が何を持っているか、どれだけ稼いでいるかにはあんまり(全然?)興味がなくて、私がどんな人間であるか、私がどんなことを考えているかのほうに興味を示してくれます。そして、意見が違う部分があっても、尊重してくれます。

だから私はその人たちと話すとき、とても居心地の良さを感じます。

その人たちは、私に「役に立ってもらおう」と考えたりしていません。私にはおせっかいなところがあって、人の役に立つことをするのが好きです。

人の役に立つことをしたいという気持ちは、一般的には人の長所と思われているし、それを否定するつもりは全然ないのですが、私の場合は「人の役に立つ私」でいることで、存在価値を保とうとしているところがあります。

人の役に立つのはすばらしいこと。でも、人の役に立つことをしていないときのあなたや私にも十分価値(存在価値)がある。

私は○○さんが私のために何かをしてくれることにすごく感謝しているけれど、○○さんが私の役に立ってくれなくっても、そのことで○○さんへの気持が変わるわけではありません。

立場を逆にして考えてみればわかることなのに、つい忘れてしまいがちですね。真面目な人ほど「人の役に立たなくちゃ!」と思いがちですが、役に立とうと思いすぎない方が、幸せに生きられる気がします。

もしこれを読んでくださっているあなたが、「私の周りにはそんな人いない。そんな人に囲まれているなんて、あなたは運がよかっただけ」と感じているとしたら、もしかしたら他人の好意に鈍感になっているのかもしれません。あるいは、自分に対して厳しすぎるゆえに、猜疑心が大きくなっちゃってるのかも。

自分の思っていること、感じていることを周りに見せると(胸を開くと)そこに何かが入ってきます。最初はちょっと勇気がいるかもしれません。でも、相手の好意をしっかり受け止められる人間になる努力はすべきだと思っています。

(話の腰を折るようですが、誰に対してもオープンになれといっているわけではありません。いろんな人がいるから、近寄る人は選んだ方が安全だとは思っています。ただ、自分が「この人、なんだか好きだな」と感じたら、その感覚にはしたがっていいんじゃないかなと思っています。)

私は、若い頃は「たくさんの人に良い印象を持たれたい、嫌われたくない」と思っていたけれど、人生折り返し(?)に来て、本音で語り合える好きな人たちと居心地のよい関係を築き維持するほうが何倍も幸せだと感じるようになりました。

だから、好きな人たちには好きと伝えたいし、真摯に向き合いたいと思うようになりました。まぁ、私が好きでも、向こうが私を好きじゃないこともあるだろうけど、かっこつけてる場合じゃないですね。

全員じゃなくても、私の好きな人たちに受け入れてもらえたら幸せです。そして、その人たちからの好意をしっかり受け止めていくことが、私がすべきことかなと思います。必要なのは、「遠慮」や「恩返し」ではなく、ただ「感謝」のような気がします。

【2023年1月8日追記】
個人サイト「ayan's style」をずっと管理・更新できずにおり、サイトクローズをすることにしました。でも、過去の自分が内側からあふれた言葉をウェブ上から消してしまうのは忍びなく、noteに移行して残すことにしました。

本記事は約7年前に書いたもので、稚拙な部分もありますが、当時の正直な気持ちです。「人の役に立つ私でいることで、存在価値を保とうとしているところ」は相変わらず私の傾向としてありますが、年月が経ち、少しは成長できたのかな……と思っています。たぶん。


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