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色を贈るよ

去年の誕生日は、名前の由来をイラストにしてテキスタイルをつくった。目に見える名前は綺麗な色だった。

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今年はなにを贈ろうか。

ふと「色」をプレゼントしたくなった。生きてきた時間の物語。それを色で再現して思い出していく。

京都にあるTAG STATIONERYの万年筆インクの調合キットを取り寄せて、アトリエでひとり黙々とインクを混ぜる。あの日の記憶に感じた色。私の中に残る色。それをゆっくり思い出しながら混ぜていく。

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真夜中、アトリエでひとり。Colin BlunstoneのOne Yearを聴きながら。7月生まれでよかったなと思う。毎年梅雨明けと競争をしている。私が年を取る方が早いか、梅雨が先に明けるか。

今年、私から私への贈り物は「色」。5色作りました。インクのレシピを残さず、感覚と気分で混ぜて10mlの小瓶の中に数mlずつ。量もバラバラ。作った分のインクがなくなったら終わり。

インク

万年筆の染料インクは紫外線で劣化するし、放っておいても数年で傷んでくる。二度と会えない色を、なんとなく作るくらいがちょうどいい時もある。


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色名 『 湿度のある曖昧な空 』

私が3歳から育った北海道・道東にある釧路湿原の空は、どんなに晴れた日でも南国のようなスカッとした青空になることは少なく、いつもどこかぼんやりした、くすんだシアンの強いブルーだった。

青色なのに青に曖昧。空なのに「この色は本当に晴れなのかな?」と不安になる。その不安定な曖昧さがとても心地よく、私をくすみの色の世界に育てたのは、きっとあの空の色なのだと思う。

大人になってどれだけ世界や国内を旅しても、釧路湿原の持つ不思議な薄暗さに似た色は少なかった。私の中にある色のくすみは釧路湿原独特の薄暗さが影響をしていて、それは色を通し越して、私という人間の性格にもたぶん影響を及ぼしている。

ブラジルでスカッとした陽気さに触れたときに、同じ海の街でもこんなに違うのかと感じた。昆布が落ちていないし、鮭も落ちていない。コパカバーナがある街に生まれたら、少しは私の性格も明るかっただろうと思いつつ、飛行機の窓から釧路湿原を見るたびに、もう決して補正されることのない色のトーンに私は少しだけ安心する。

そういう空の色。


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色名 『 放課後、希望の光 』

学校が苦手だった。きっとはじめて学校というものに通うようになった日から一度も好きになった事はないと思う。同じ時間に起きるとか、お腹が空いていないのに昼ご飯を食べるとか、なんとなく自分には合っていないなと思っていた。

季節で気温も光の色も違うから、目が覚めたらそこを「朝」と呼びたい。お腹が空いたら、その時、食事をしたい。晴れて湿度が低いなら、屋外で日光と風を全身で浴びて植物に触れたいし、雨や曇りで湿度が高くグレーの世界なら部屋の中で静かに本を読みたい。学びたいことを学びたいタイミングで学びたい。それだけのささやかな願望があった。

私が理想と願う日常は、時間割りに当てはめたり、繰り返せないことが多く、なかなか叶わないので、とても我慢の多い日々だった。この感覚を周りに分かってもらえず、自分の感じるものと他人が感じているものは違うのだと理解できるようになるまで、だいぶ時間が必要だった。選択肢と正解の数が少なすぎる。そう感じていた。

放課後。この放課後の光を教室の窓から見ると、やっと時間というものが本当の自分のものになることが嬉しかった。放課後の光から朝の光までが、自分が自分でいられる自由な時間になる。光の時計、嬉しくてしかたない。

人が少なくなる放課後の教室の、真っ白ではないカーテンの。大きな窓から真っ直ぐ私を照らす黄色い光。その光はとてつもなく大きな希望だった。あぁやっと今日も終わった。学校を我慢できた。無事に耐え抜いた。自分に戻れる。

放課後の光。それは、いつでも本当の自分に戻れる希望の光だった。


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色名 『 生まれたばかりの牧草 』

長い冬が終わり、あたたかくない春が去る。すると驚くほど一斉に道東は緑が生命力をもって成長を始める。

あちらこちらにょきにょきと芽吹き、淡い黄緑色の匂いが草原を作る。父の車の助手席に乗り、一緒に山遊びへ出かける。車道の両脇がすべて草原。たぶん牧草になる。少しだけ窓を開けると、若い命の匂いがする。

嫌味が全くないピュアでみずみずしく透明な黄緑。黄色とシアンを混ぜた方の黄緑で、黄色と青ではない色。そのほんのわずかな季節が大好きで。ちょっと前まで真っ白だった世界。命を隠して白い世界で寝ているように見えるので、こんなにも生きているのだと牧草たちが主張してくれることが嬉しくなる。

すぐに夏の真ん中になるから、生まれたばかりの牧草の色に会える季節は短い。短いけれど、その季節が存在しない年はない。必ずやってくる。自然は「必ずまたやってくる」を何度も教えてくれた。折れそうな私の弱い心に、生まれたばかりの牧草たちは毎年「大丈夫」と言う。


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色名 『 祝福によるハニカミ 』

小さな頃。母が毎年誕生日には、なかなか手の込んだお誕生会を用意してくれた。今思い返せば決して経済的に裕福だった家庭ではないと思う。けれど「経済的」という言葉をまだ持たなかった小さな私には、貧しさを感じた記憶が少ない。

お誕生日はいつもとても幸福な一日だった。壁にお菓子が貼ってあったり、おねだりして焼いてもらったお手製のホールケーキに自分で好きにトッピングして楽しんだり。普段はなかなか買ってもらえない玩具が、かならずひとつ希望通りに買ってもらえる。

お誕生日が近づくとそわそわして嬉しくて、幸せで。数日間、ずっと心の中が淡いピンク色に染まり続ける。カレンダーを見ながら「あと何日かな?」「ケーキどうやってかわいくしようかな?」とひとりでニヤニヤしていた。

小さな私に、物質だけではなく、こういう「感じる時間」をたくさん記憶として残してくれた家族には心から感謝している。どんな形であれ(完璧な人間だったり完璧な親でなくてよいので)ただただ淡いピンク色を私の中にちゃんと与えてくれて、幸福な秘密の妄想を持っていてもよいのだと許された記憶は、大人になってからも生きていくとき、強さになるように思う。

永遠の無痛無敵の強さではなく、弱いままここぞという時に折れすぎない程度に強くなる。そのくらいの強さが私は好きです。

幸福になることを許されたような喜び。きっと私は「お誕生日おめでとう」という自分以外の誰かからの言葉でしっかり幸福になり、素直にハニカム。3歳でも、10歳でも、23歳でも。40歳でも。90歳でも100歳でも、誕生日にはハニカム人であることを願う。そんな色。


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色名 『 何処へも行けない草たち 』

夏も本番になると、釧路湿原の草たちは貴重な季節を謳歌し、どんどん青を濃くして、夏にすべきことをすべてする。次の季節が来るのは早い。どっしりと根を下ろし、湿原という特殊な環境に適応し、そこでしか生きていけない生き物になる。逆にそこでは生きていける。

自分探しなどしても何処にも自分がいない。自分はここにしか存在しない。ここで生き抜くしかない。そのために何ができて、何が必要なのか考えれば生き残れる。そう教えてくれた草たち。

色々な条件が重なり、何処へも行けない事態は、生きていると多々ある。私自身、何度も経験している。逃げたりどこかへ行けるならとっくに行っているよ。そう思うこともある。そんな時は何処へも行けないことを悲しまないようにしようと思う。

行けないからここでできることをすればいい。ここにあるものなら使えるのだから、なんとかしてみるか。何処へも行けないから、それは条件という個性だ。

自然の中、とくに湿原という特殊な環境。そこで生きる事を選んだ草たち。私は森に入るたびに、草や木や花から工夫と楽観的な視点をもらう。工夫は楽しい。



5つの色の紹介でした。こんな物語を思い出しながら、アトリエで作りました。

お誕生日おめでとう。


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