感じることを諦めない
感じることを諦めない。
感じる道を探す。
これはノウハウとは違う、身体との向き合い方、考え方の問題なのかなと思います。
単純に腕を上げてとか、右を向いてとかではなく、腕を上げてる時にどこで支えてる感じがするのかとか、右を向いている時にどうしようとして右を向くのかという話になってきます。
まぁ、その考え方自体が難しいと言われてしまいそうだけど。
でも、目に見える動きというのは、目に見えないところの状態や(こうしたいという)思いの結果現れていることであって、目に見えているその形にしたいのではなかったりします。
だから、できるできないはほとんど関係がない。
その動きをした時にどう感じるか。
その動きがやりにくいのはどうしてなのか?
その動きで何を感じようとしてるのか?
そんなことを自分の身体の中で巡らせることで、新たな感覚が目覚めてくる。
なのでもし、自分にとって難しい動きがあったとして、
私はこうだからできない!
と言い切ってしまうのは早計かもしれませんな。
もしかしたら、私はこうだからという思い込みが障害になっているかもしれないし、こうだからできないわけじゃないかもしれない。
できないと思い込んでるやり方がそもそも違っているのかもしれない。
或いは、できなくても仕方のない理由を「こうだから!」にしたいだけなのかもしれない。
そんな風に(私はちゃんとやってるの!コレは仕方ないの!)というできない理由を正当化しているのは、できる道を、そうしようと思う道を探すことを諦めているだけなのではあるまいか。と、訝しむ。
本当にできないとしても、それができないけどどうしたらいいかを探そうとする、誰かに尋ねることで道を探すことはできる。
諦めていることを正当化するために、そういう主張をしているのだとしたら、なんだか勿体無いなという気がします。
でもそれ(そう主張すること)が望みならば、どうしようもない。
果たして「私はできない!」という主張をして何をしたいのか。
できるようになりたい!という思いの手助けならしたいと思われるでしょうが、私はできない!元々こうだから無理なので!と言ったところで、手を差し伸べられることはあるのでしょうか?
それはそれで、その道をいくしかないのかもしれません。
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