見出し画像

短歌もらいました⑧✧♡

 勝手に他人の短歌を気にいって採集するシリーズ、久々やってみよう!
 たくさんの短歌をもらった本は、こちら!
 

たった1650円で、このヴォリューム💖

 115人の歌人の歌、各20首。
 115×20=2300首載っている。
 正直、読み終わる気がしない。
 市立図書館から借りて、市立図書館が半年間、休業中だったので、ズルして、借り続けて、さぼりながらも、読み続けた。

 それがやっと今日(8月27日)読み終えた( ゚Д゚)
 読み終わるんだ!
 ちょっと我ながら驚いている。

【一千年後に届けたい、現代短歌アンソロジー】
葛原妙子・塚本邦雄・岡井隆から吉田隼人・大森静佳まで
今、読まれるべき現代歌人115人の作品二十首選。
さらに編者による一首鑑賞を収録。
戦後の現代短歌を見渡す決定版アンソロジーの完成です。

本の解説(amazonより)

 1人の歌人から一首頂くことにした。

 本にポストイットの山。

 この本は繰り返し読みたいので、もう、買おうと思っている。
 図書館も8月に、営業を再開したので、速く、本を返さなきゃという気持ちになって来た( ´艸`)
 早速行ってみよ~💖

ずいずいと悲しみ来れば一匹のとんぼのように本屋に入る

安藤美保

 本当は、隣の歌にポストイットが貼ってあった。しかし、それは数か月前に選んだ歌( ´艸`)。隣のこの歌が気に入った今日です。

「一冊の本が解決できない悩みなど出会ったことが無い」

 と、誰かの名言にあったが、犬を病気で入院させ、ちょっとホッとした時、本屋を彷徨った。その時、好きな漫画の単行本の続きが出ていて何冊か読んだ時に、全く、犬のことを忘れていた。主人公のあまりの大変さに、全く、犬のことを忘れていた。
 今、思うとその犬のことを忘れるべきでなかったと思う。
 しかし、私はつかの間、心の荷を下ろし、想像の世界に旅立ったのだ。
 本にはそういうチカラがある。この作者もまたなにか悲しみを抱えていたのだろうか。トンボが尖ったところを求めてとまるように、本屋に、はいって、心を遊ばせ、ずいずいと来た悲しみを鎮める作者の姿が見えるようだ。


夏空はたやすく曇ってしまうからくすぐりまくって起こすおとうと

飯田有子

 この歌は、夏休みの光景ではないか。夏休みってあっという間に最終日が来る。海に入れるくらいの夏空も、数えるほどしか無かったりする。そんな過ぎてしまう夏の日を惜しんで、早くから起きて弟をくすぐって起こして行動を起こそうとする姉の姿がある。
 そういえば、私の姉は、さあ、遊ぶぞ!という長期休みに入ると病気で倒れていたりして、ずいぶんがっかりした思い出がある。お盆休みに黒帯(旦那)が倒れていたのにもがっかりした。毎年じゃないのに、たった幾度かのことが、凄く悔しい思い出として、記憶されているのだ。今は、毎日が日曜日なので、そういう感覚は味わえない。幸福だなあ( ´艸`)


電車には人が大勢乗ってゐる寂しい竹がゆれてゐるのだ

池田はるみ

 初めこの歌を読んだ時、混み込みになっている満員電車と、全く涼し気な竹林の光景が目に浮かんだ。こんな気持ちいいトコロがあるのに、仕事に出かける人との対比、みたいな。
 次に、歌をキーボードで打ってみると、満員電車に立っている人々が寂しい竹に例えられているのかと気が付いた。ゆらゆらと竹のように意志を持たずに揺れている人々。都市は、そこに暮らす人間の数が多いだけに一つ一つの人間の行動が拡大され、大きく見える。電車に乗っている大勢の人々、互いに全く関係無いケド、遠くから見れば一つの竹の群れのように見える都会の風景がなんとも孤独である。

息を吞むほど夕焼けでその日から誰も電話に出なくなり

石川美南

 一読して、そんな訳はないだろう!と思って、初めの夕焼けに戻る。
 もしかして、そんなことが起きる程、美しい夕焼けだったのか?という作者の描いたファンタジーが立ちあがってくる。
 しかし、電話に出なくなるということはどんな行動であろうか。
 2003年の歌だから、今ほど、スマホやネットが発達していない時かもしれない。今は、色々な用事がlineやメールで済まされ、むしろ電話をかけるほどの緊急な用事が、日常にはそれほどないので思いつかない程だ。
 しかし、電話を掛ける人が減ったのではなく、明らかに電話に出る人がいなくなったというのは、みな建物の中にいるのではなく、外に居て自然に見惚れていると言う風にもとれる。不思議な歌である。
 この短歌集には、すべてのページに、作者のある一首が選ばれ、編集者が鑑賞文を書いている。私と同じ歌が選ばれていたので引用してみよう。

「その日」が何かの運命の日であったか、以後、誰も電話に出なくなったのだという。人間は「その日」を境に消えてしまったのだろうか。そんなことは書かれていない。しかし、人間に電話への関心を失わせる、つまり文明の変化をもたらすほどの天象がありうるかもしれないという想像を読者は掻き立てられることになる。喜劇とも悲劇ともつかない、三十一文字の壮大なドラマである。

(S)

 いや、流石すぎる( ´艸`)
 そうそうそう、私もそんな風に感じていた( ´艸`)書けなかったけどwww

海だけのページが卒業アルバムにあってそれからとじていません

伊舎堂 仁

 この歌の前に取り上げた歌と同じ匂いのする歌だ。
 卒業アルバムって、自分の顔のあるクラスのページに行くと、何気に気恥ずかしい。授業風景や行事風景、いろんな懐かしい風景を観て、そして最後は、この3年あったことという時事のページになる。
 時事のページ、自分が高校生の頃は何の興味もなかったから、見なかった。しかし卒業から何十年も経っていれば、そんな事件があった年だったかとそのページさえ、大切に思う今の自分がいる。
 しかし、海だけのページがある。
 そのページは写真屋のいれたただのデザインページなのだろうか?
 作者はそのページを安心して開いたまま閉じようとしていない。
 結局作者は高校時代も振り返りもしないし、何も解決しないまま、大人になるのを拒否しているのだろうか?
 この歌も一首鑑賞されている。引用してみる。
 私が描かなかったことだけを。

海辺の学校であれば、みんながいつも見ていた海の写真を大きく載せるだろう。その海の写真のページだけを見て、心奪われたのか、それ以来、アルバムを閉じていないというのだ。開かれたまま部屋に置いてあるアルバムは、そこに四角い海があるように見えるだろうか。その持ち主は、部屋に入るたびに、その海の写真を眺めるのだろうか。「海だけのページ」の存在感が増していく。

(C)

 素晴らしい( ´艸`)!
 この三十一文字を、そんな風に詳しく鑑賞できる編者が凄い。
 そうそうそう、私もそう思ってた。

 余分は無く、豊か✧♡


海が見たくなった











この記事が参加している募集