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短歌もらいました⑨✧♡

 図書館に本を返すためにゲットした短歌をどんどん紹介します( ´艸`)

椰子の葉と象の耳ほどこの星の風が愛したかたちはなかった

井辻朱美

 風に身を投げる椰子の木とばたばたと大きな象の耳が目に浮かぶ。
 「その星の風に愛された」という風の擬人化の表現が素敵だ。
 最近私の身の回りには「風」と聞いただけで「藤井風」を思い出す人がたくさんいるので、すでに「風」は擬人化どころか人間化しているかもしれない。

Fujii Kaze Stadium Live “Feelin' Good”観ましたか?

 でも、よく考えたら、象の耳が風になびいているのは見たことが無い。椰子の木と一緒にされたことで、象の耳もそうかと妙に納得させられる。
 その二つを一緒に持ちだして、こちらを説得してくる作者と友達になってみたい。
 そんな彼女はゆらゆらミルコのようなどこかとぼけた女の人なのではないだろうか?


いつきさん、楽しいです💖


生まれきて一日(ひとひ)たたぬにくさめしてまたおならしてみどりごは忙

伊藤一彦

 赤子に弱い。
 敵わないよね、この感じ。
 オトナのすかした感じ一個もないし、くさめしておならしてきっとうんちもおしっこもして、おっぱい吸ってる。三歳までは神、と誰かが言っていた記憶があるけど、なんとなくその言葉は真実に思う。
 生まれたばかりの赤子の可愛さ。理屈抜き。
 生まれた子供への、父の感想なのだろうか?


蚊に食われし皮膚もりあがりたるゆうべ蚊の力量にこころしずけし

内山晶太

 私が「蚊」を意識したのは、尊敬する歌人「穂村弘」さんの「蚊がいる」というエッセイ集からだった。この短歌に出会った時、蚊を詠んでいる人もいるのだと衝撃を受けた。
 普通、蚊に食われるとその痒さに悔しい思いをし、痒さと夏の暑さが重なって、しかも、あの、ぷ~~~~んというモスキート音に襲われた日にはかなり眠れず、イライラして目覚めるのであるが、この短歌の作者は冷静だ。
 しかも、蚊はかなり盛大に血を吸ったのか、皮膚は盛り上がっている。
 作者は、愚痴、泣き言、恨み言を言うのではなく、ここまで大きな腫れを作り上げた蚊の力量に思いを馳せる。こころしずけしとまで言っているのである。とんだ人格者ではないか( ゚Д゚)
 さて、編者による一首鑑賞。私が書かなかったことを中心に引用してみる。

(略)だが、歌人はそんな当たり前のリアクションを描いたりしない。一日の疲れが出てくる夕方、皮膚の盛り上がったところに目をとめる。蚊に食われた痕だ。蚊は痒くなる液体を注入し、どこかへ飛んでいった。こんなに盛り上がっているなんて、この蚊はよほど頑張ったのだろう。ひととき歌人は蚊に思いを馳せる。私の血を吸った蚊は、今どこにいるのだろう。誰かに叩かれず、生き延びているのだろうか。皮膚の力強く盛り上がったところが「きっと大丈夫ですよ」と答えているかのようだ。

(C)

 凄い( ゚Д゚)ここまで話を引っ張れるってどういうこと?やはり、編者の鑑賞能力は、高い。

「きっと大丈夫ですよ」と腫れが答える? 蚊の心配、したことないやい!


生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ

梅内美華子

 1970年青森県生まれとある。同じ県の生まれの人だ(←親近感)。
 今、現在のNHKの朝ドラ「虎に翼」で、これでもかと法曹界で生きる女の人たちの大変さが描かれる。そのドラマを思い出してしまう短歌。
 男は、文学青年なのだろうか。自分の好きな女にふと、そんな甘えた言葉を吐いたのであろう。しかし、相手が悪かった。そんな男の甘えを許さない毅然とした女だった。男にとっては不運で、女にとっては小気味いい。
 そんな爽やかでさっぱりした歌である。
 かっこいいな!と思う。いつも女の魅力を振りかざしたかのような与謝野晶子の短歌がかっこよくてついつい選んでしまうのだが、この歌は、その理由と逆で選んでしまうと、いいそうになるが、実は同じかもしれない。
 女といういきものは実は男よりも男らしく毅然として格好のよい生き物なのだ。


涙はぜいたくひんのようであり花携えず運ばれる死者

江戸 雪

 歌人の名前がいかにもペンネームっぽくっていい。江戸の雪って。
 死者は、見送る人もいない人なのだろう。普通は参列者によって花が棺桶にいれられる。それがないということは、故人を想って、泣く人もいない。
 昨年、黒帯(旦那)の兄(長男)の葬儀に出席した時、どこかみんなしらじらと事を済ませたいと思っている残念な空気に満ちていたが、次男が泣き、三男(黒帯)が泣き、離婚した母側の娘もかけつけてくれた会になった。その、どこか寂しい葬儀を思い出した。
 そんな葬儀では、確かに、涙は、ぜいたく品だったのだ。

遠き太鼓の音聴くやうに人と居て人の話をまったく聞かず

大口玲子

 蚊の歌と赤子の歌以外は女の人の歌なのだ。女は独特だ。
 この歌も、とても女の人だなあと言う気がする。女というものは柔軟なようでいて、嫌なものは一切聴かないのだ。綺麗に断捨離できる。素知らぬ、何食わぬ顔をして、人の話を聴いたふりして全く聴いていない。
 そんな芝居が可能なのは女だけだという気がする。その確信はいったいなんなのだろうか。今ふっと頭に浮かんだのは、そんな芝居に騙されてくれるのは、バカな男だけだからという言葉である。
 それもあるね( ´艸`)
 でも、どうでもいい女の話も聞かない。

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい

大滝和子

 作者が38歳の時の作品。20代の若者でもない、しかし年老いてはいない38歳という微妙な年齢が歌に出ているように思う。38歳にもなると、女性としていろいろなことが仕事でもプライベートでもやって来る年齢だ。そんな妙齢の作者が青いサンダルを踏みしめて立っている。
 いろいろなことに決別したのか、それともすべてを丸抱えして、気持ちをさっぱりさせたのか、銀河を産んだように涼しいと彼女は言う。
 彼女が産んだものは、なんだったのだろう。
 彼女のこの歌が載っているのは「銀河を産んだように」というこの歌集だ。彼女が産んだのは本当に歌としての表現の銀河で、それは歌人として生きていくと決めた彼女には、とても爽やかで涼やかな宣言だったのではないだろうか。

弥勒像ゆびさきほのか頬(ほ)に触るる果てなき思惟の昼のしづけさ

大塚寅彦


もう全くこの方しか浮かびません( ´艸`)

 推しの仏像も詠めるのだとnote写仏部員的にはかなりうれしい短歌である。そんなふうに、誰の頭にも浮かぶようなアイコンを詠むことで読者をひっぱっていける短歌の作り方もあるのだなあと気づかされる。
 作者が思惟像と二人だけでいた時間も彷彿とさせるような、広隆寺の空間を思い出させる短歌である。

もし馬となりゐるならばたてがみを風になびけて疾(と)く帰り来よ

大西民子

 人間は人間で馬になるわけはないのだが、たてがみを風になびかせて早く帰ってきて欲しいという強い気持ちに打たれる。恋人に言った言葉なのか、子供や肉親なのか、いずれも、とても大切な人に言った言葉の強さ、親しさを感じる。


たてがみを風になびけて疾(と)く帰り来よ

 本についたポストイットがゼロになるまで投稿は続く💖

 道は長い( ゚Д゚)
 あれ?道長様~~~こんなところにいらっしゃった°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

#なんのはなしですか






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