乳がんになった私 #5「涙がひらひらと落ちる夜」
針生検を終え、私の右胸はガーゼやらテープやらがびっしりと張られ、ガチガチに固定された。
ぶっとい注射器を刺して細胞を切り取っているのだから、穴があいているということ…?麻酔のおかげでまだ痛みはないが、自分で自分の身体のことを可哀想に思った。
細胞を病理検査に出し、正式な結果が分かるのは2週間後。それまでに、来週はMRIの予約。2週間後の結果を聞く日にはCTの予約も入った。
診察室を出て待合室のソファーに母と腰掛けた。
私「いやあ〜…大変なことになっちゃったねえ…」
母「絶対に違うと思ってたのに…」
私「…でも、そうだとしても仕方ない、やるしかない、がんばるしかないね。」
支払いを済ませ、内田が待つカフェへと母と向かった。
席に着いて、内田に7、8割方乳がんだと言われたことを伝えた。
ポロポロと涙を流しながら話す、私と母。(本当に泣き虫親子)
真剣な顔で話を聞いていた内田の目からも涙が。私のことで、大切な人たちが泣いている。それを見て私はさらに泣けてきた。
朝イチで病院へ行って、終わったのはお昼の時間をとっくに過ぎた午後。昼食を食べていなかったので、食欲はなかったがひとまず食べ物を注文。なんとか口に運びながら、3人で話した。
具体的にどんな会話をしたか…細かく覚えてはいないが、乳がんだったとしても、とにかくやるしかない。大丈夫。がんばろう。と、みんなで心を強く持とうと励まし合っていたような気がする。
でも、もしかしたら、少ない可能性かもしれないが悪性じゃないなんてこともあるよね?と…
良性の可能性を完全に消し去ったわけではないが…この時点でもう覚悟をしようと、きっと3人とも思っていた。
父親にも直接会って話そうと思い、カフェを出てから実家へと向かった。
私「先生に、おそらく乳がんだと言われたわ…はあ〜大変なことになっちゃった…」
父「俺の姉さんも若くして乳がんになったけど、今もぴんぴん元気にしてる。今は昔よりもさらに治る病気になってるから、大丈夫だ、治る。」
そんなやりとりをして、実家をあとにした。
父は落ち着いているように見えた。内心はわからないけど。
帰宅した頃には、もうすっかり暗くなっていた。
夜ごはんを食べる気力もなかったが、食べないと余計に元気が出ないだろうと、内田が焼きそばを作ってくれた。
食卓に向かい合って座り、焼きそばを口に運ぶ、涙がポロポロ、もぐもぐ、ポロポロ、もぐもぐ、泣きながら食べた。
針生検の麻酔が切れたようで、胸はズキズキと痛んでいた。
今日はもう早く寝よう。
しかし、心身共に疲れているはずが、なかなか眠気は訪れてくれず、相変わらず気が付くと涙が流れていた。
この時の涙は、悲しいというより、つらいというより、ショックというより、私は“人生”というものを感じて泣いていた。
これが私の人生に起きた出来事なんだなあ、と。今日という日を振り返り、とても言葉では表せられない心情や感覚すべてを味わっているような涙。
隣を見ると、内田の目からも涙が頬を伝って流れ落ちていた。
綺麗な涙。
これまでの人生で、私は数えきれないほど泣いてきたし、人の涙もたくさん見てきたけど、今まで私が感じた中で、いちばん綺麗な涙だと思った。
きっとこの日の涙は、一生忘れない。
5ヶ月後にQaijffは「サニーサイド」という曲をリリースすることになるのだが、この曲の中に「涙がひらひらと落ちる夜」という歌詞がある。この歌詞を歌うたびに、聴くたびに、この日の涙を必ず思い出す。
眠れない私たちは、人生について、大切なものについて話し、そのうち泣き疲れて眠りについていた。
(#6へ続く)
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