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ともにあるために詩にできること

あわいをゆるす言葉

わたしは、言葉が苦手で、的確に伝えるための言葉を書くことがとても下手。レビュー、人に読んでもらうための紹介文は全部個人的な感想文になってしまう。感じたことを言葉にすることと、正しく伝わるように書くこと、両立させようとすると混乱してしまい、感じたことを隠したりゆがめたりして書かないといけない。
加えて、話すことも苦手だ。これはもう理由を考えるのも面倒なくらい、昔から、どうしようもないことだ。ある日、さんでのお話会で話した通り、話すより書くほうがまだまし。ましだけど伝わるようには書けないから、言葉の前では基本的に恐れの気持ちが手放せない。

詩の言葉はあわいをゆるしてくれる言葉だと思っていて、「言葉にできないこと」と「読んでもわからないこと」をゆるしてくれる最後の言語かもしれない。そうした言葉未満の「呻き」は生きているということの不思議やままならなさ、他者という存在との軋轢とも通じていて、言葉の前で膝をつくことを詩という器は許容してくれている気がしている。少なくともわたしは詩作の中で相手へ正しく伝えることを放棄している。正しく読むということを求めてもいない。ただ書きたいことにどこまで言葉を手繰り寄せられるか、そこにいるあなたへ届き得るかだ。


お話会「ともにあるために詩にできること」@ある日、

展示作品のこと/公園のこと/詩人が生きていくこと/日本の詩人と海外の詩人の在り方の違い(お客様より)/読む詩と聞く詩/配信で朗読すること/一対一であること/わたしとあなた/あなたへ書くこと/「みんな」とか「わたしたち」について/自画像をつくること(お客様より)/詩集の編集について/詩を書くこと(果汁100%あるいは濃縮還元)/書かないテーマについて/自分の持ち場について/詩にはできないこと/「誕生日のための詩」について/高橋さんが大事にしてること/過程を共有すること/目の前で転ぶこと/突然の朗読コーナー(「この世のあかるみにて転ぶ」新刊『光をたたえる』より)/【質問】いつから詩を書いているのか/【質問2】人に届けようと思ったきっかけ/話すのが得意じゃない/棚に並ぶ本が伝えてくれること/浜比嘉島の人口は400人くらい/「ある日、」のまわりのご近所さん情報/方言の話/詩人は大切にしよう(お客様より)/詩人として生きていくこと

高橋さんのメモ(この記事の見出しの画像にもなっている。息子さんの描かれた線と共に)に書かれていた池田の言葉「みんなってどこまでだろう、わたしたちって、どこまでだろう」はこちらに書いた言葉でした。


ともにあるために詩にできること

「あなた」と書くとき、ほんとうにあなたがそれを読んでいるあなたなのだと伝えることをもっと頑張りたい。それはきっと読む人を信じて書くことだと思う。ともにあることを信じて、あいだに言葉を置いてみることをくりかえす。わたしたちは完璧にわかりあうことはない、すべてをゆるしあうことは決してできないけれど、想像することをやめずに、ここにともにあることを大事に思っていたい。むずかしいけれど、いつかこの星まるっと、そう思えたら。

お話会、たのしかったです!
ある日、で待ってくださっていたみなさん、ありがとうございました!
高橋さん、ありがとうございます。
池田彩乃をこれからもがんばってゆこうって思えました。がんばります!
「光をたたえる」ミニ巡回展は2月14日までです。


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