見出し画像

ふるえが伝うこと(平和のつくりかた)

どんなに砕いても、裏返しても、伸び縮みさせても、「言葉」は硬質なものに変わりはない。言葉にした途端に遠くなり、引き返せない気がして後ろめたくなる。言葉に耐えかねてまた言葉を探すこと、あるいは黙ること。
言葉にできないことがある。言葉にはできないことがある。言葉が言葉であるがゆえに、言葉にできないものに言葉はふれることができない。
言葉ひとつにも確かに息づくふるえやひびきについて、どんな分野の専門用語も使わずに表そうとするとき「同調」という言葉が浮かぶ。同調する。調子を合わせる。それはできるときとできないときがあるけれど、難しさや易しさで測られることはない。調子が合わないな。調子が悪いな。そういうシーンで人は自分や相手が持つ調子を感じている。感じることしかできないものを、認めて取り合おうとする。
目には見えないものを、「それは目には見えない不思議なものです」と言い切り話すことは恐らくわたしの仕事ではない。
(見える人にしか見えない、わかる人にしかわからない、という言い方はどんな話で用いられても胸の内で引っかかってしまう。その先は突き当たりなの?断絶なの?)
目には見えないけれど、もうふれている。ここに起きていることが、目には見えないもののはたらきである。そうしたほんとうのことを言葉にする仕事を一生涯無所属新人のまま取り組めたらいいな。

思い入れのある町が幾つもある。そして特別思い入れのある町はない。いつでも遊びに行けたらと願っているけれど、たったひとつ帰りたい町はない。生まれ育った町も今はそうではない。
「社会」を思うとき、それは点描画だ。この世は星屑の散らばった空。
町を変えたい、社会を変えたいと願い、集団や町など大きなものにはたらきかける人を見る度「すごいなあ」と心から尊敬する。
わたしは書きながら、たったひとつの点を、小さな星を、頼っている。
ふるえが伝うとき、その人も何か話したり書いたり作ったり、誰かへあいさつをしたり、何かに見惚れたり、すこし遠回りして帰ったりするかもしれない。
ふるえはまた何かへ、誰かへ伝ってゆく。
わたしたちはほんのかすかな連鎖を繰り返している。
忘れたり、思い出したりしながら、さまざまなものから日々受け取るふるえがあなたの中に生きて、ふるえている。それは鼓動や、脈拍、まばたきや、手のあたたかさ。目には見えなくても、あなたを生かしているものはもうすでにそこにある。
あなたが生きていることが、この世をますますうれしいところへ変えてゆく。平和というものをこの星のすべてが感受できるその日を、あなたが作っている。今もまさに、そのさなかにある。わたしはそう信じている。わたしもまた誰かや何かにそう信じてもらっていると、わかっている。

元気なひとが元気なときに笑えばいい。声を出せばいい。元気がないときは元気な人に任せておけばいい。わたしは元気になってきたので、自分の信じている平和のつくりかたについて書いてみました。

近づいたり離れたり、目を開けられないときもそこで光ってくれている星々へ、ありがとう。今はとってもよく見えるよ。ここはこんなにまぶしいところ。確かに自分はここにいて、愛しているということが、よくわかるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?