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輪っかをつくる

ある村にとても長い腕をもつ男がいた。
名は日乃彦といいおだやかでやさしい心根の持ち主であった。
水汲みへゆくにも兎を追うにも日乃彦がいれば百人力というように、村の皆から頼り慕われていた。
その長い腕は人の5倍の水を汲み、
兎は呆気に取られつつ腕の中にたやすく収まり、
木の天辺で悠々と日を浴びる果実を捥いでゆき、
往来でよろける人が見えれば声が届くより先に肩を支えた。
その中でも日乃彦の元にたびたびやってくる頼まれごとは、子どもらの遊びに混ざることだった。
「日乃兄ちゃん、輪っかして!」
「よしよし、ほーら、輪っかをつくるぞ」
日乃彦は長い腕を体の前でありったけ伸ばし十指を組む。
すると子どもらは、歓声を上げ飛び跳ね
腕の輪の中でおしくらまんじゅうをしたり、鬼ごっこをはじめる。
晴天の野っ原に腰掛けながら子どもらと笑い、時に声を飛ばしていると
遊びの途中、眠たくなった小さい子や喧嘩してべそをかいている子は腕の元にやってきて
めいめいに休んだりべそべそと日乃彦に話をしたりする。
日乃彦に子はおらず、嫁もとらず、そのことにやきもきする者もいないわけではなかったが
日乃彦が皆を家族のように思うのと同じく、皆もまた日乃彦を家族のひとりのように思っていた。
村にはただおだやかな日々があった。

ある夜、日乃彦は小さな灯を手に、山の麓を訪れた。
山は日乃彦を旧くから知る、静かな友であった。
灯を置き、指先にあらん限りの力を込め、腕を伸ばす。眠っている鳥を避けきれなかったのか、羽音が山の裏の方から微かに聞こえた。
山を両腕で包むと、日乃彦は月の光に俯きながら話をはじめた。

「山を超えたところの村で争いが起きていると聞いた」

声は遠くの湧き水のように響いたが、山はそのまま耳を傾けた。

「私はこの長い腕で村の皆をひとり残らず抱く(いだく)ことはできるかもしれないが、それでもその村の者までは届かない」
「おまえはこの静かな村と争いの起きている村との端境にいるだろう。おまえを抱くことでなんとか届きはしないだろうか。私も争いはこわい。だか、こわいよりもかなしくてたまらないのだ」

山は、戦火の中で息を潜める人々の心のふるえも風や土を介し伝わっていることを明かすかどうか考えたが、ふるえる腕の中で言葉になることはなかった。

暫くの沈黙のあと、山は問いかけた。

「日乃彦よ、その報せは村の皆も知っているのか」

「ああ、すこしずつだが。どのみち隠しておくことも難しいだろう」

木々に顔を埋めても、山の鼓動は聞こえず、ましてや体温などはないのだが、日乃彦はまどろむような安心感が胸の内のひりひりとしたところに覆いかぶさってゆくような、そんな気がしていた。山をひとり抱くときいつも自分もひとりきりであることに思い至る。

山は押し黙り、月は高く昇り、
寝息を立てて眠る者たちを思わずにいられない。
さびしさと祈りにも似た人恋しさが夜を一層満たしてゆく。

「どうか、ひとりひとりを抱いてやってほしい。おまえの腕はたっぷり余るだろうが、こんな風に話すのと同じさ、ひとりでひとりに話すようにその腕で成してほしい」

山が絞り出した声が体をゆっくり伝ってゆく。
どちらのものかわからないふるえの只中で、日乃彦は腕に力を込めた。ひとつの輪っかの中で、言葉ではないものが行き交っている、その点のような線のような淡いものを思う。

「それが遠くの者を慰めることはないかもしれないが、目の前のひとりに向かうことは、この私を悠に超えてゆくことであろう」



まだ辺りは薄青く、花も開いていない。
村への帰り道を日乃彦はひとり、確かな足取りで歩む。

「ちいさな輪っかを、私は何度でもつくろう」

山へ返した短い言葉もまた、いびつな輪っかになり日乃彦をとりまいているように思えた、そのような夜明け前であった。


初出:イベント「みんなまるい人々」@spaceeauuu(2019.6)
絵 さとうさかな 詩 池田彩乃

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