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1通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと

菜月さん

この世に、この星に、あってほしいものについて、菜月さんと話したいなと思い文通にお誘いしました。

先日noteの記事に書かれていたことを読み、自分を含め案外多くのひとがそうしたまだ見ぬ在り方を模索している、あるいは模索したいと願っている、と最近感じている体感に重なるところがありました。

“いろいろな地方に拠点を持ちたいです。いろいろな土地に住むひとがそれぞれに拠点をもって暮らしながら管理をして、他の土地のひとが来たら迎える、じぶんが他の土地へ行くときはお世話になる。そういう仕組みをつくりたいです。何も気にせずにふらりと行って、何日か暮らしてまたじぶんの拠点に戻る、そんな感じ。ホテルとはまた違う、人のとどまる場所。ポケモン的な人間関係の在り方、そういうふうにしたい人ってけっこういるんじゃないかなと思います。”

“家族をつくるor孤独 ではないと思うんです。
家族でも家族じゃなくても、友だちでも、友だちとも恋人ともいえないなにかでも、名付けようの無いものでも、なんでもいい、一緒にいたいひとと一緒にいればいいと思います。”

引用元:「10月9日 土曜日 たぶん晴れ|箱庭日記」

わたしは、ここで生きていくことについてなにか小さくとも手を打ちたいという気持ちがあります。詩作や本の制作を主軸にしているので今のところ「あなた」へ書くことがその気持ちの顕在化です。これは「一緒にいたいひとと一緒にいる」の超進化系とも言えるかもしれませんが、フィジカル面には働きかけることができません。
ここで生きていくことにおいて、精神と肉体を切り離して考えることはできません。わたしも実家の空間での暮らしでは心を守りきれませんでした。言葉で治癒できる部分と言葉では絶対に触れられないところがあります。これを言葉の脆弱性と捉えるべきか、領分だと弁えるべきかどっちつかずのままですが、どうしてもどうでもいいとは思えないです。
わたしは、まだ見ぬ在り方を模索したいと願っている段階にいるのだと思います。ここで生きてゆくという自由研究のさなかにおいて、菜月さんと今ひとつの問いを共有したいです。

「どんなものがここにあったらいいと思う?」
この言葉はわたしの中に火を熾してくれる火打ち石みたいなもので、これまでのかたちある制作物の生まれる手前には常にこの問いがあります。

菜月さんがここにあったらいいなと思っているもの、教えてください。
あと菜月さんの中にも火打ち石があればそれもお聞きしてみたいです。
(どんなところからエネルギーを汲んできているのだろう)

同居人が作ってくれたごはんが美味しかった夜

池田


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