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みずうみのはなし

波がないからここはみずうみなんだろうか。
辺りを見渡すと、ひととひとや、ひととことや、ものとことが
見つめ合ったり話しあっていたり抱き合っていたりしていた。
(そうか、わたしたちは一個ずつだからちがう一個のこともわかる。大事にできる)
空には薄日が射していて遠くの山のてっぺんが照らされている。
水をかきわけ、平泳ぎで進む。
驚嘆や感動がそこかしこから立ち上り、水はどんどんやわらかくなる。
どうやら、そういう心の揺れがこのみずうみにとっては「よいもの」であるらしい。水に浸っているとそんなことがぼんやりとわかり、わたしまでなんだかうれしい。
それに、泳いでも泳いでもどこも疲れないし、ここはいいところだな。
視界のすみで話し合っていた「睡眠」と「雨雲」が唐突に抱き合い、おぼろなふたつの影はひとかたまりになった。
夜に降る雨、わたしもそれを愛していた気がする。
かたまりは、ふわふわと浮かんでゆく。
やがて、ふるえるひとつの恋に気づいた空もどんどん暗くなりビロードで仕立てられた夜空を辺りへ広げてみせた。
みずうみのわたしたちは、仰向けに浮かびうっとりとそのときを待っていた。
こぼれてゆく、吐息のような雨。
なつかしい、うれしい、また出会えたこと、ここにいること
心の水面に幾重にも広がるはもん、はもん、はもん
水から体へ染み込んでくる、だれかの、なにかの、はもん、はもん、はもん
ここは、心かもしれない。
わたしたちは、心のなかの、ばらばらにおだやかに在る一個一個なのかもしれない。
わたしは、心かもしれない。
この心のみずうみに、告げる。
はもん、はもん、はもん
幾重にも広がる。
はもん、はもん、はもん


初出:フリーペーパー「この星紀行」(2016年春)




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