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未来への道を迷いながらも前進する #LA留学20ヶ月目

こんにちは、Ayaです!

なんと、2022年2月にLAに飛び込んでから、もう2024年2月を過ぎました!丸2年が経ちました!(※題名に20ヶ月とありますが、一時帰国などを差し引いた期間です)。時の流れは本当に早いですね...

2年間のLA生活を赤裸々に語る。

2年前、ロサンゼルスに足を踏み入れて、誰も知らない地で、0からのスタートでした。

その頃は、ROSEFFYの東京でのポップアップを終えてすぐ、「よし、次のステップは海外展開だー!」と意気込んでいました。


最初に行ったのは、UCLAのキャンパス。

広大な校舎と景色に圧倒され、ROSEFFYスカーフと共に写真をパシャパシャ撮っていました(笑)

その時は、2年後、自分がUCLAの学生になっているとは、思ってもいませんでしたが。

戦略的な学校選び

初めの8ヶ月は、現地の語学学校へ通いました。同時にファッションのスクールにも4ヶ月、通いました。最初の1ヶ月は、すべてが新鮮で、長年の夢だったLAで生活していること自体が嬉しくて、全てが順調!と思っていました。

が、

語学学校はLAの大都心ということもあり、日本人が多く、日本人と話しているだけで、英語が上達するのか不安になりました。最初は、語学学校の日本人とどうやって接していけば良いか分からず、遊びに誘ってもらえなかったり、孤独を感じることもありました。

英語力をつけてクラスも上がり、わずか3ヶ月で多国籍の友達と仲良くなりました!

最終的には、語学学校でも友達できました:)

ただ、留学に対する期待とのギャップも感じていました。これがきっかけで、語学学校を離れ、現地で働くための環境を探し始めました。

現地で働くためには、市民権、永住権、就労許可保有者でないといけません。

現実は厳しい。私は、日本国籍保有者なので、米国では外国人扱い。私は、合法的にアメリカで働くことができないのです。

その後、就労権利を得るための最短ルートをリサーチして、UCLA extension
に辿り着きました。

このCertificationのコースを卒業すると、OPT(Optional Practical Trainingの略で、留学生でもアメリカの大学や専門学校を卒業した後、そのまま滞在して最大1年間、現地企業で働ける、という制度)を取得できます。

そして、入学条件の試験に合格できるよう、机に向かって英語の勉強をがんばりました。一度めの試験で失敗。二度目の挑戦で試験に合格し、晴れて入学。デジタルマーケティングの学部を専攻しました。

初めは教授の授業についていけず、教授からは英語を学び直しなさい、と言われたりしてました。でも、9ヶ月経った今では、だいぶ理解できるようになったし、自分でプレゼンを発表できるまでになりました。

学校外での活動

初めの数か月は、自信に満ちた気持ちで行動していましたが、英語が通じていないことを自覚し、コミュニケーションが取りづらいという問題に直面しました。やりとりがうまくいかず、自分の力不足を感じ、自信を失いました。しかし、Tik Tokでファッションインタビューを始めたり、ベニスビーチでの出店を試みるなど、積極的な行動を取りました。
2年目には、NYでポップアップを開催したり、LA内のファッションストア3店舗での販売を開始したり、少しずつ形になってきました。

卸販売1店舗めのオーナー

また、某日本国内有名アパレルブランドの米国卸展開を担当させていただきました。

Shopifyが開催する起業家イベントやファッションショーに参加し、同じ目標を持つ人々との交流を深めることで、自分と真摯に向き合う毎日を過ごしました。

振り返ると、人との出会いが自分を成長させ、次のステップへと導いてくれました。良い影響を与えてくれた方に感謝し、恩返しをしたいと思っています。


LAでの生活費削減方法

私は、日本からたくさん調味料を買ってスーツケースに入れてアメリカへ持ってきています。日本食最高。自炊最高。

自分の経験、視野を広げるために惜しまずお金を使いたいので、必要なものだけしか買わない、自炊する、を徹底しています。
ペットボトルではなく水筒を持ち歩くのはもう当たり前です。

時差を活用し、明け方、夜中にオンラインで日本の仕事をしています。

まとめ

未来への道を迷いながらも前進する。そんな2年間だったと思います。
自分の道は自分で切り開く。
世の中に上手い話なんてない。近道なんてない。本当に欲しいものを手にしたいなら、必要な手順(努力)を踏んで手にするしか方法はない。人生のショートカットなんて決してない。

そう信じてこれからも真摯に生きていこうと思います・・!



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