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人と作品は区別すべきなのか

最近、ピアノ曲ブームが自分の中できております。子供の頃に結構たくさん曲を弾いてきたのですが、その作品や作曲家の背景は、ほとんど知らなかったのです。なので、今更調べてるんですが、私が大好きだったドビュッシーが、クソ野郎だったということを知ってショックを受けています。ここ数日、そのショックを引きずっています。

そういう中世ヨーロッパの有名人は、クソ野郎に思えるってことは知っていたのですが…ダメージが大きいです。

ドビュッシーは、浮気野郎でした。浮気野郎自体は作曲家あるあるですが、2度もそれぞれ異なるお相手を自殺未遂させるほどの人で、自殺未遂させるような時に名曲を作っちゃったりしたそうで。狂気を感じます。人の心があるのか…。本来、動物ってそういうものなのか…。あるいは、残念ながら自殺を選択するようなメンヘラ系が好みだったということなのか…。いずれにせよ、引いてしまう。

ピアノ曲で有名な作曲家は、その時代ってのもありますが、浮気なんて日常茶飯事っていうのも、なんつーか、受け入れられないっす。
人生で一度くらいの自分の選択ミスによる変更ってのは、わかるんです。複数回くりかえされたり、周りの人が離れていくほどのものってのがちょっとねぇ。なんかねぇ。事情はあるかもだけど、なんかねぇ。

価値観なんて時代も国も違えば異なるのは当たり前ってのは、わかるんだけども、わかりません!!涙

王道ですが、ラカンパネラも大好きなんです。が、その作曲家のリストもなんか…人目を気にしなさすぎるところにドン引きしてしまいました。

うちなる欲を表現するのが作曲家であって、200年経っても名曲と言われるほどのものなので、その表現力たるや尋常じゃないからなんだろーなーとは思います。だから、人間関係であっても欲のままに進むのもそりゃあそうだよなぁーとは思うんだけど。

受け入れ難い。私の頭は、かたいのだ。

でも、曲を聴くと感動しちまうんだ。

昨今、俳優とか同じく作曲家とか事件を起こすと、その人の手がけた作品は公には公開されなくなります。けども、作品と人はもう別なのかもしれない。

親と子は、別の人権があるように。

でもこのモヤモヤ…どうしてくれる…。
自分が抑制しているからその僻みなのか。

書いていればなんかスッキリするかなと思って書き始めましたが、
そういえば調べた内容は、事実では無い可能性もあるし、立場変われば見方も変わるように、実際は違ったかもしれない…
という可能性もあるかもと思ってきました。

どーでもいいか。

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