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巡り合わせですな(1)

体外受精とやらにチャレンジをしまして、今のところ順調でございます。まだまだ初期なので、公に公表するものではないけども、ひっそりと色々な経験を書いておこうかなと。どなたかの参考になったりならなかったり。長いので2回に分けます。

◾️夫の闘病
 結婚して5年になりますが、2年前に夫の病気が発覚しました。病名は、急性骨髄性白血病。臍帯血による骨髄移植もして、約半年間の苦しい入院生活をしておりました。
 病名を聞かされた時の私の知識は、「セカチューでは、死んだ病気だよね?」という程度だったので大変ショックでした。もちろん本人のショックとは比にはならないけども、絵に描いたような普通の人生を歩んできたので、こんな展開があるとは想定外。人生何が起こるかわからないって話は本当でした。
 といっても私が泣きじゃくった日々は3日だけ。横隔膜が狂うほど泣いたけども、そこからは持ち前の能天気さを物凄く発揮して、ケロッとしていました。白血病は血液の癌と言われ、今では治る可能性が高くなってきている病気だと医師からの説明がありました。大きな病気のため、サポーターが病んでしまうパターンも多いようですが、周りの支えや自分の性格もあり、夫が回復する未来しか見えなかったので私のメンタル面は元気でした。
 とても役に立ったのは、このNOTEです。病院の先生に「白血病に関する本はないのか?」と聞いたら、ブログを書いている人が大勢いるので、それを是非参考にと教えてもらいました。病名で検索すると結構ヒットするし、1日ずつブログを書く方もいたりして、症状とその時の気持ちを打ち明けて下さっていてとても参考になりました。

 骨髄移植とは、放射線で免疫力をゼロにしてから、移植します。移植による副作用は本当に個人差が出てくるようで、ブログを見ても退院後の様子は、皆異なります。
 夫の場合は、骨と皮のガリガリの状態でかつ、肺がやられてドレンという水抜きチューブをぶら下げて退院したので、体力回復に時間を要しました。始めはほぼ家では寝てました。散歩できるようになってきても、ちょっとした坂でもキツく、半年は私がお尻を押してあげてました。そういえばオムツも半年は履いてました。皮膚のこともあるけど、ケツ筋が無いために普通のパンツだと座る時に痛いそうです。1ヶ月くらい経つと、車の運転ができるようになって移動距離が延びました。3ヶ月くらいでラーメン屋さんのラーメンが食べられるようになり、歩く速さも普通に。途中肺炎で再入院した時もあったけど、退院から9ヶ月後には復職して(最大限休んだ)、通勤して、飲み会にも参加して、カラオケ、フットサル、ジョギングなんかも再開して。顔色がだいぶ良くなったねと言われる退院から一年半の今日この頃です。
 もちろん副作用はまだまだあります。歯がすぐ黒ずむこと、全身の皮膚の荒れがなかなか治らないのと、鼻水がエンドレスで出ること。健康体だった頃に比べたら難ありですが、移植後のことを考えると超元気です。

 再発の可能性も0ではないので、まだまだ1.5ヶ月に3日連続で抗がん剤治療をしに病院には通っています。そして、よくいう安定の目安は移植後5年といわれているので、まだあと3年もあります。
 が、妊活をスタートしました。

◾️妊活するにあたって
 もともと、結婚したら2,3年後には子供をつくるんだろうなぁと思ってました。が、一方で私は、何においても面倒見が悪い方なので、こんな私が子供を育てられるのか?という不安が大きく、子供を授かろうという覚悟がなかなかできませんでした。
 結婚式後すぐに新型ウイルスが蔓延して、子作りは、様子見だな…と先送り。ウイルスがどんなものかわかってきたら、夫が長期出張で先送り。よーーし帰ってきたぞーー!!そろそろ覚悟を決めるかー???と思ってたところに、病気発覚!
 夫の病気発覚の時のショックの中の1つに、子供が授かれないかもしれない…というショックもありました。自分はそこまで絶対に欲しい!!!というタイプでは無かったけども、その選択肢が無くなるかも…ということが結構なショックでした。具体的にはないにせよ、いつか子供ができたら〇〇したいなぁという想像はしていたので、やはり子供を授かりたいとは思っていたみたい。私という人間は、妊娠する機能はあるのに、法律で夫は定まっていることから、機能を発揮できないのか…という自然法則からみたらなんだか不自然だなぁとも思いました。そして、この毎月の生理は一体何のために…とも。親も同じく孫の顔が見れないのか….とショックを受けてました。
 といいつつ、覚悟がまだ出来上がってないことから、先送りとする理由ができてどこか安心もしておりました。日本の状況とか大きなことを考えると、大丈夫なのかしら??って今も思います。でも、この数年のうちに周りの友達が一斉に母親になりまして。みんなの覚悟、すんごいなぁ〜と尊敬でした。

 肝心な種は、病気発覚後の次の日、抗がん剤治療直前に採取して冷凍しておりました。病気とは関係がないようで、とても元気な種だったようです。夫も、病名を聞かされて「自分は死ぬのか…」て思った矢先に「とりあえず、精子保存をしときましょう」という先生の提案が、とても前向きな希望に感じられたようです。
 私も言われるがままに種たちをポケットに入れて不妊クリニックへ。まさか自分が不妊クリニックにお世話になることになるとは…。平日にも関わらず、待合室にはたくさんの女性が待っていて、こんなにも待ち望んでいる方がいるんだ〜と感動しました。
 元気な種たちだけども、抗がん剤治療後の夫の機能面はどうなるかわからない…ということから、なるべくチャンスが多い12回に小分けして保存することにしました。「回数に限りもあるので、もし子供を望むってことでしたら、体外受精ですね。子供が欲しいなぁと思った時の生理が始まったらご来院ください。説明会もオンラインで実施してるので参加してみてください」以上。。。
 クリニックの先生の話に全くついていけなかったけども、たしか人工授精の次のステップが体外受精って聞いた気がする。大幅にステップを飛び越えて、妊活するってことは理解した。オンライン説明であとは知識を補足するか…と思い、クリニックを後にしました。
 しかし、その1ヶ月後の落ち着いた頃に、夫とオンラインの説明会に参加したのですが、まっっっっったく理解できませんでした。専門用語が多いからなのか、私がステップを飛ばしすぎてるからなのか、よくわからないのですが、参加されてた方の質疑応答を見てると、めっちゃ参加者側にも知識があったように思えたので、私は思考回路ショートしまして。しばしこのことは放置することにしました。

 それから一年後くらいに、不妊治療経験者様に夫の調子はどうなるかわからないけど、私の加齢も気になると話をしたら、卵子凍結を勧めていただきました。よし!!!と思ってクリニックに行ったら、やんわりと断られました。「早いことはいいんだけども、年齢もまだ31だから大丈夫。35くらいになったら卵子凍結を考えるといいよ。凍結ってのは、やたらしておくものでは無いのです。」とのこと。
 そのことを不妊治療経験者様に話をしたら「え!信じられない!そこのクリニックは自然派スタイルだから、そういう話になるんだろうね」とのこと。
どうやら、不妊クリニックにも色んな種類があるみたいで、より自然妊娠に近い方法を取る自然派と、技術力を駆使するスパルタ派に大分されるようです。私は夫の病院からの紹介でクリニックに行ってるので、選ぶということをしてないために全く知らない情報でした。

 復職前の夫には、まだ体調が完全じゃないけども、私の仕事も半年後の夏終わりに一区切りつくからそこから妊活とやらを考えたいと話をしました。自然派クリニックに行ってるからには、卵子凍結よりも自分達のパワーを信じよう!と思いました。

つづく

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