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ビターな苺に想いを

苦しかったものに生かされた。
苦しかったものに強くさせられた。
闘ったものは、自分にとってとても大切な価値観を教えてくれるものだった。

人の承認を得るために、動いた経験がある。
いまは思う。なんてばかな、って。
いま、自分の足跡を見て思った。
昨日、自分の持って生まれたカードを憎んだ。

無意味に感じる、他者の承認を要さないような、
そのくらい自分を満たす秘かなものが、私を生かす。
昨日、思った。
もてる女は、とか成功者は、とか、ネットではいろんな人がこれぞとばかりに声を上げることができる時代。それを無作為に、無意識に私たちは見る。これが必要なのか、と吸収しようとする。
アナログ時代、おそらくそんなものはなかった、
じぶんで一生懸命調べるか、人から聞くか、そんなかんじ。

でも私は思う。自分でこう思ったことや考えたことや、それを行動に移して、自分で学ぶ、身体で学ぶことが本当に学ぶってことじゃないかなと。
だから、間違ってあたりまえで、間違ってなんぼ、という風にも聞こえる。
人には人の考えや背景があるから、自分の意見や感覚を研ぎ澄ましていないと、誰かの人生を追いかけてしまう。

知るって本来そういうものだった。間違って、知る。一生懸命に探して、知る。簡単じゃない。だからこそ、価値がある。自分の血肉になる。

知らないことが沢山ある。だからこそ、知りたいと思う。
世界は広い。だから、美しいものや奥深いものを沢山目にして肌で感じたい。世界は広いということを知っていきたい。それは自分の行く道のような気もする。

昨日、自分を思い返して、自分は昔からそんなに安定していて、強い人間ではない、と思い出した。両親はそこまで仲良くなかったし、喜怒哀楽の激しい場所にもいたから、自分で心の支えを作る必要があった。
時期によって、飼っていた愛犬や、大好きな海外アーティスト、海外のTV、本、日記、お気に入りの本、毎日のラジオ。
誰にも言えない私の空間。お気に入りの空間。心の支え。
自分のダメなところを知っていたから、ダメな方向にいかないように用心していた。流されやすいから、自分の軸に戻る時間を多くとっていた。
そういう、心の軸が私には必要だった。

最近、その軸が不安定というか忘れがちになっていた。
自分が弱いということを忘れて、何でもできる気になっちゃう。
誰にでもなれる気もした。
でも、自分はこうだと思ったことに対して、いつも思ったより大したことはできなかった。いつものことをするということで沢山だった。
自分が誰なのかを、忘れる瞬間が多々あった。
画面をスクロールし続けて、流れる広告と人の生活と、人の意見を見て、吸収して、自分の欠陥を感じて、ただやるべきことをこなす毎日。
正直、心が息をしていなかった。

誰かの生活を見るにしても、自分の軸があった方がいい。
自分の意思で見る、ということ。
人の意見にしても、全部受け取るよりも、こういう意見もあるよね、さて自分はどう思うのか、ということをあてにしている方がいい。
人の生活を見て、欠陥を感じるのであれば、自分の生活を疎かにしている。
自分の価値観、自分の居場所、自分の選ぶもの、意見、思惑。

人は無意識に選んでいる。選んだ結果。
食べるもの、選ぶ人、YESかNOか、会うか、会わないか、どこに行き、何を買うか、どこに引っ越すか、どこに向かうか。

選んでいるものはあなた自身に変化する。

そう思うと、一つ一つ丁寧に選びたいなと思う。

私は前提が好きではない。普通、常識、ルール、同調圧力。
わくわく目を光らせて好きなものを語る人が好き。
自由に描く人。身軽で、捉われない。
もっと枠をかき消していきたい。枠を広げていきたい。
常識とか思い込みを超えたい。

私の満足する選択、意志で選ぶもの。

私が心満足する選択。

そんなところだ。

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