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夏の空想、楽しみ

今日はいつもと違う日。

おもしろい出来事が起こったりした。
知らないおじちゃんに、電車に乗ってると前に座ってきて、まるでわたしのことを知ってたかのように、『お昼食べたの?』『どこから来たの?』『日本人?』って聞いてきたり、今の時代でなかなか出会わない人種。

旅行に来たみたいな気持ちになった。

デジタルが多い時代で、偶然的に話しかけるなんて返っていいのかもしれない。

夏が近づくと、いつもノスタルジックな気持ちになる。楽しみなような、刹那的なような。

夏になるといつも見たくなる映画がある。
聴きたくなる音楽がある。

例えば、「時をかける少女」「サマーウォーズ」「君の名は」「ブレイブストーリー」

青春時代読んだ本はわたしの土台を作っている。心の基盤。

高校時代、ありふれた本に囲われた空間で毎日図書室に行けたことは、自分の心の支えで自分と向き合う高尚な時間だった。

夏を迎えるたびにそういう刹那的な、恋しくなる思い出が甦る。

好きだった人、好きな思い出、好きな先生。

今という時間はとても刹那的だと思う。

子供時代、毎日くるくる変わる出来事に忙しかった。大人になると、責任が増え、将来を考えることを求められる。どうしようもない出来事にぶち当たることが多くなる。やることが増えると、そういうくるくるした感情に出会うことが少なくなってると感じてる。

逃避についての本を、今日読んだ。

あとがきには、自分が大切にしたいものを大切にできるような逃避ならいい。生きなさい。と。

他人の評価や情報。
ネガティブを受け流し、自分にとって大切なものは何か、幸せになる核は何か削ぎ落として、向き合って、そういう心の切り替え(マインドセット)を忘れずにいたい。

しあわせは他人次第の評価や応対次第ではなく、自分次第。自分の責任。

将来が不安になったり、恐れたり、過去を悔やんだり、大人になることでそういうのって得意になってしまうのだけど、今を生きようとする強さ、しなやかさを持っていたい。

いつかの将来は今の積み重ねなのだから、また来るであろうチャンスや大切な時間に思いっきり楽しめるような準備を重ねていたい。

だからこそ、Be patient だと思う。

学生時代、私は仏教の学校に通っていたので、毎週一回、仏参という時間が早朝にあった。

平穏にする時間はいま作らないとないように、
心を穏やかにする瞬間を作っていたいと思う。

自分の勝手で生きるのもいいけど、誰かを思って動くと違う筋肉が働くような気もした。

その時は眠くて寝る時間と思うぐらいだった。

そんなふうに、誰かを思って何かをしていたいなんて思ったりもしている。

その数が多いほど豊かになるような気もして。

微力ながら、プラスの力が働く方向へ向かいたい。すべてはエネルギーなのだから🥦🙂

私はそう思ってる。京都の片隅から。

帰り道の電車で思いついて書く🌏

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