SNSを通じた「嫉妬」をパワーに変える方法
こんにちは、あやにーです。久しぶりのnoteです。
今日は一つ、嫉妬というテーマで書きたいと思います.
SNSが発達することで、SNSがなかった時代に比べて個人に関係する情報が入ってくる量が何倍にも増えました。
どんどん成功していく同級生、幸せそうに子どもを抱く後輩、あっという間に有名人になった友達。など
今は個人がソーシャルの力を使って、自分自身をプロデュースし、どんどん力を付けていくということも少なくありませんし
更にいうなれば、それを近くで自分の意志に関係なく見ることも増えているのではないでしょうか。
ここで正直に私の話をすると、私はとっても羨ましがりです。
自分の近くにいた人があっという間に有名になり、階段を駆け上がっていく姿を何度も何度も何度も見ていますし
その背中を見ながら「どうして私はダメなんだろう」と落ち込むことも少なくありません!本当に!
これは羨望であり、嫉妬であり。
この感情に日々「ぐぬぬぬぬ」となっていた時期もあったのですが、今日はこの気持ちに対して私が伝えたいことを書いていきます。
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いいね!が生まれ、「隣の芝生」はなくなった**
嫉妬とは【他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。】
SNSが発達するにつれて、私たちは必要以上に他人の情報に触れるようになりました。素敵な旅行先の写真、事業での出資に大きな金額出してもらえることになった、自分では手が届かない人とスイスイと食事に行っていたり。
同じ内容を発信したとしても、SNSで力をもった人たちは人の注目を集め、RTもいいね数も稼ぎながら、どんどん拡散されていく。
人に注目され、自分からどんどん離れていく姿を数字をもって、見せられていく。それがSNSだと思います。
よく「隣の芝生は青い」と言われますが、SNSにおいては
大きな一面の芝生で、その中央に自分の庭がぽつんと立っているような。
自分の庭も一生懸命育てているはずなのに、周りはどんどん素敵な花が咲き、大きな木に育っていたり、美味しそうな木の実もなっていたり。
そのくらい、もう隣の芝生ではなく、四方八方ふさがれた原っぱ状態の中に私たちはなっているんだと思うんですよね。
見える世界が広がった分、嫉妬をする範囲も広がっている。
それは至極当然のこと。
その中で、嫉妬をしないで生きていくなんて相当の忍耐力が必要になっている。それが今のSNSに置けるユーザーの状況だと感じています。
そもそも嫉妬って何がいけないのか
よく「嫉妬」という感情に対してネガティブに捉える方が多いと思いますし、私自身も「ぎゃあああ」と叫びたくなるくらい(本当に)悔しくて、羨ましい。まさに「嫉妬」という感情に向き合わざる得ないときが多々あります。
そして私は嫉妬するということは、消耗だとずっと思い続けていた時期もあったんですが、でも少しだけ大人になった今、嫉妬の何がいけないのかと考え直したときに「嫉妬」が問題ではないという答えに。
人はたぶんこの「嫉妬の何がいけないのか」までを深く考えていないからこそ、ネガティブに捉えてしまうのではないか。
毎日毎日自慢のように続く投稿を眺めながらため息や静かに怒りを覚えるよりも、私はこの嫉妬という感情に対してネガティブに捉えるのではなく、よりそれを自分に必要な力にすることが出来ないかと考え始めました。
嫉妬がいけないのではない。
嫉妬している自分を受け入れず、自分の心のままに「ああ、運だけ良くていいよね」と口から出した瞬間が一番良くないのではないでしょうか。
「本当に自分に必要なことは何か」を見失いがち
SNSを通じて、何でも発信し、何でも受け取れるようになった今
私たちは「自分の目標」について見失いやすい環境になっていると思います。
自分の目標にはまったく関係がないことでも、話題になっている姿を見て「いいなあ、あんなにちやほやされて。私も頑張っているのに」と。
自分が毎日コツコツ積み上げていることは、まったく価値がないように感じて、余所見をしてしまったり。
自分の目標や夢にとって必要がないものなのに、ついつい輝いて見える栄光に向かっていきたくなってしまう。
それは当たり前のことなのかもしれませんが、逆にその栄光を手に入れた人はどうでしょうか?
夢や理想の目標を叶えるために「必要なこと」を徹底的にこなした人が、栄光をつかんでいきます。
SNSであなたが嫉妬している人は「必要なことをこなした結果」を残しているだけだと思うのです。
周りの影響をまったく受けない人というのはとても稀。
だからこそ、どんな人を自分の周りにおいておくのか、フォローしておくのかというのは重要になってきます。
だからこそ、嫉妬を良いエネルギーに変えられるマインドを持つということはひとつの武器になります。
たとえば私は
「羨ましいと思っているその事実は自分の目標達成において必要か」を何度も自分に問いただします。
「みんなに認められているから羨ましい!」というのは私の人生の目標達成には必要ありません。
自分に必要な感情なのかどうかも、感情のままで置いておくのではなく。少しだけ距離を置いてロジカルに分析することで
自分の足りない部分や、嫉妬につながった理由を理解することができます。
Twitterでもつぶやきましたが
「正しいことを正しい方法で続けていれば、必ず結果が出る」
嫉妬した瞬間「なぜこの気持ちが生まれるのか」「この気持ちは必要か」と瞬時に考えるだけで
自分の人生の価値をあげるポジティブな解消にも繋がるし
誤った方法で嫉妬をアウトプットすることを防げると思います。
嫉妬という感情が成長をさせてくれるきっかけをくれる。
そのきっかけを逃さず、自分の身に着けちゃえばいい。ただそれだけで。
それでも、「いなくなってしまえばいいのに」と思うこともあると思います。
頑張っているのに、認められないこともあるでしょう。
そういうときは、思い出してほしいんですが
もし復讐したいと思っているなら「何よりあなたが成功することが一番」です。
自分が成功し、夢を叶えることで嫉妬されるくらいの人になれるように日々正しいことを続け、結果を出す以外に方法はありません。
よくネット上で直接バッシングする人もいますが、万が一その人がいなくなったとしてもあなたの価値は何も変わりません。その人の地位にもつけません。
無駄じゃない?そのエネルギー。
私は度々になりますが、嫉妬がいけないことだと思いません。
どっちかといえばその気持ちをただの嫉妬で終わらせるのがマジでもったいない。
SNSを通じてたくさんの人の成功を見ることができる時代に「すべてを喜ぶ」なんて、それもまた無駄なエネルギーだと思います。
あなたの心に素直になっていいし、無理なんてする必要もない。
私はSNSを見るなとも言いません。
良いエネルギーにどんどんリサイクルしていける能力をつけることが最強だと思うので、ノウハウを身に着けてほしい。
そして嫉妬をエスカレートさせ、バッシングする時間や労力を持ったら終わりだと、むしろそこに恐怖心を持ってほしい。
日々毎日コツコツと自分の人生に向き合い、必要なことを続けていける人ほど勝ち残って行ける人はいません。
自分にいかにフォーカスできるかどうか。それが人生を大きく変えていきます。
少しでも無駄をなくしましょう。嫉妬したらその分自分を成長させましょう。
今は背中を追っているだけかもしれませんが
いつか追われる人になりたいし、追っていた背中を正しく追い抜ける人になりたいなと私は常に思います。
悔しいことも楽しいことも、すべて自分の人生だから!
あなたが抱えているもやもやを少しでもパワーに変えてエネルギーあふれる社会になっていくといいなと思っています。
本当嫉妬して立ち止まっている場合じゃない、自分を生きないとね。
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