アフガニスタンの人々を想う
立秋が過ぎた頃から、アフガン関係のニュースが連日報道され、気持ちが休まりません。8月15日、タリバンがアフガニスタンの首都カブールに侵攻し、勝利宣言をしました。それに先立って大統領のアシュラフ・ガニは辞任し、隣国ウズベキスタンに逃れたと報道されましたが、8月11日にタリバンが9州都を制圧したと報道されてから、わずか4日の出来事でした。
私は、2001年11月末から2004年3月まで、アフガンオペレーションに参加していました。タリバン政権の崩壊を受けて、当時パキスタンとイランに逃れていた約300万人のアフガン難民の多くが、自主帰還をすると予測されていたからです。しかし、当初はアフガニスタンに入国できず、パキスタンのイスラマバードで働いており、ようやくカブールに入ることができたのは、翌2002年の正月でした。
思い出すのは、初めて一緒に仕事をすることになったアフガニスタンの男女のスタッフ。男性は、タリバン時代から職員として働いていて、誰もが一目おく優秀なスタッフ。女性は、私たちが入国してから採用された新人スタッフでした。
私たちのチーム以外にも、多くの女性が採用されのですが、新しく採用された女性職員は、コンピューターはおろか、コピー機も使ったこともありませんでした。数ヵ月後、チームの女性が言いました。「ここに来て人間になった、これまで自分の意見を聞かれると言うことがなかった。タリバン時代には、少しブルカの丈が短いと難癖をつけられ、ひどく責められたことがあった。」
この話をしてくれた時、「そうだったのか。」と理解できることがありました。ある日、彼女がコピーを取るために書類を持って出たのですが、戻ってきたときには原稿が一枚足りません。その原稿は、コピー機の上にも残っていません。「怒っているのではないので、コピーをとった後、どのような行動をしたかを思い出してほしい。」と言ったのですが、「私は知らない、無くしていない。」の一点張り。以前から、ミスを指摘すると怖がるなぁと気付いていたので、「怒っているのではない、次のために説明しているだけだ。」と一言付け加えると、落ち着いて話を聞いてくれていました。が、今回は、「知らない。」というばかりなのです。仕方なく、彼女が取った行動を想像して、コピー機から私たちのオフィスまで、いくつかのポイント箇所を順番に回って、見つけることができました。が、なぜ、あんなに無くしたことを強く否定したのか、よく理解できないままでした。
けれど、彼女の言葉で、タリバン時代にどんなに恐怖を抱いていたのかを垣間見るように思いました。おそらく、責められたら「知らない。」「やっていない。」と言うことで、その場を凌ぎ、最悪の事態を避けていたのでしょう。彼女たちの必要のない恐怖心を解くのは簡単ではない、と感じる一方、「職場で人間になった」と言ってくれたことが嬉しくもありました。彼女に限らず、女性たちは、事務所が企画する研修に参加することに熱心で、参加するたびに興奮して戻ってきました。発言する機会だけでなく、知識や技術を得る機会を長い間奪われていた女性たちの目が、文字通り、きらきら光っているのです。女性が人間だと感じられず、人々が恐怖の中で生きる時代に戻してはいけない。
彼女はどうしているだろう。確か、結婚後仕事をやめて夫と海外に住んでいたはずだから、まず、彼女は安全だろうと思いました。男性メンバーはアフガニスタンにいるはずなので心配でしたが、その後、安否は確認できました。彼についても心に残る話があり、次回に書き留めようと思います。
最近の私:ひさびさにプチ断食をしました。
上の写真はBBCのHPより。https://www.bbc.com/japanese/58219193
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