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うずらの卵

「嫌いな食べ物は何か」と聞かれたら、「特にないです」と答えている。

本当に嫌いなものは「特にない」。
小さい頃、給食のレーズンパンが嫌いだったが、今では問題なく食べられる。むしろ最近はレーズンが好物の一つになりつつある。
食べられないものは特にない、が正しい表現かもしれないが、とにかく私にとって特段「嫌いなたべもの」はない。


割り箸の袋を開けようとした瞬間、思いがけず爪楊枝が指を刺した。
これしきの痛み、大したことがないのは確かだが、袋に書かれた「Otemoto」の緑の文字がなんだか憎らしい。

早朝買ってきたお弁当をお昼ごはんに食べようとした時のことだった。

今度は先に爪楊枝を取り出して、そっと割り箸を取り出す。よし。成功した。たったそれだけのことを大の大人がこうも慎重になるなんて。なんだか馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまう。今日のお昼は鶏の照り焼き丼だ。

最近どうも、自炊が面倒で仕方がない。倦怠感というのだろうか、なんだか何もしたくないモードに入ってしまった。よくないとはわかっているが、まあそういうこともあるだろうと世のお惣菜とその背景にある人々に感謝しつつ、生きながらえるための食事をする。

照り焼き丼の蓋を開ける。ふわっと、甘辛い醤油がかおる。思った通り、美味しそうだ。

さて、と。いただきますの姿勢をとった私の目に、思いがけないものが映る。
テラテラと輝く鶏の照り焼きに少しだけ隠れるように、恥ずかしそうなうずらの卵がいた。


うずらの卵と初めて出会ったのは、小学生の時だった。
古い校舎、樹齢100年を超える大きなあこうの木、色の剥がれた遊具、そこが私の全てだった頃のことだ。

うずらの卵は、転校生だった。

お父さんが学校の先生をしているという彼女は、先月までこの辺りでも都会の方の学校にいたらしく、田舎の小さな学校に通う私たちよりも、なんだかずっと大人っぽい雰囲気を帯びていた。さらさらの黒髪、すこしそばかすのある白い肌、切れ長の目、みんなと違う制服。おそらく何度目かの転校なのだろう。特に臆する様子もない彼女の立ち振る舞いに、憧憬の念すら抱いてしまう。

「うずらの卵、席はあそこ。のちこの隣だ。のちこ、よく見てあげなさい」

先生が私の方へ指を差す。どきりとした。
うずらの卵がみんなの視線を一身に浴びながら、ツンと背筋を伸ばし、早歩きで近づいてくる。綺麗でかっこいい転校生とお隣さんだなんて、なんだかドキドキするなあと思っていた私は気づいてしまった。
緊張していないように見えた彼女の左右の手足はそれぞれ同時に出ていた。

「よろしく、のちこさん」

きっと彼女とは仲良くなれる。そう確信した。


うずらの卵、懐かしいなあ。
そんなことを思いながら、2021年の私が照り焼き丼を頬張る。美味しい。

ちなみにうずらの卵とはその後、出会ったときの直感通りに、1番の友達になった。休み時間には一緒にSPEEDのダンスを踊り、お揃いの缶バッチをサブバッグにつけて登校した。
私の学校では珍しく、私立の中学校を受験するということを打ち明けられた時はとても驚いたけれど、誰にも見られないように昼休みは空き教室に忍び込んで、一緒に受験勉強手伝ったりしたっけ。

もう何年も会っていなかったけれど、今では病院の先生になって活躍している彼女が私はなんだか誇らしい。


久しぶりに再会したうずらの卵は、やっぱりかっこよくて。半分に切られたうずらの卵は、少しだけ半熟だった。

口の中に入れてみる。

いや、まずい。本当にまずい。

いやまずいやろ。うずらの卵ってなんでこんな独特の味なの。うずらの卵ごときを使うくらいなら、普通の卵を使うか、いっそのこと何も入れないでよ。気持ちだけ、みたいな感じで照り焼き丼に乗ってこないで。サービスでもなんでもないのよ。うずらの卵嫌いなのよ

嫌いなあまり、ここ20年くらい食べるどころか出会うことすらなかったから入っててびっくりしたわ。油断してた。完全にミスだった。うずらの卵入ってる丼買ってきちまった。

思わずうずらの卵との素敵な友情物語を夢想してみたけど、全然愛着湧かなかったわ。病院の先生になったうずらの卵、専門は何科かな?とか考えるのも馬鹿馬鹿しすぎたわ。白くてツルツルだから皮膚科かな?やかましわい。
何してんの。いやほんと、何してんの。


爪楊枝で刺した指が痛い。

うずらの卵は、今日もまずい。

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