ストーリー〜ただのギャルから稼ぐギャルへ〜

こんにちは、ギャルママ社長あやなです。

このnoteを開いてくれたあなたは今、期待で胸が膨らんでいますか?

それとも不安な気持ちでいっぱいですか?

どちらにせよ、この先はあなたにとって新しい挑戦が待っているはず。

新しいことに挑戦するとき一番大切なこと。それは、自分にも出来るという自信です。

現在私の月収は300万円を超え、お金の不安をなくすことが出来ました。

けれども最初から人生トントン拍子という訳ではなく、大事な人を失ったことや200万円の借金を背負ったこともありました。

私も普通の人間で、普通の女の子です。

もちろん特別な能力があったわけではありません。むしろ世間的にはどうしようも無い不良少女で、警察にお世話になったこともありました。

そんな私でも、とあるキッカケと数ヶ月の努力で、大好きな息子を守りきれる生活を手に入れることができました。

挑戦する前は誰だって同じスタートライン。今までどんな人生経験をしていても、最初から突出して新しいことが出来ることなんてほとんどありません。

大切なのは、やり抜くという気持ち。自信の問題です。

あなたにも、その自信を持ってこれから挑戦して欲しい。少しでも不安を無くして欲しいと思って、このnoteを書くことにしました。

それでは少し長くなりますけど、私の過去話にお付き合いください。

※しっかり読んでくださった方には最後にギャルママからの特典も用意しています♪

猪突猛進でとにかく負けず嫌い

画像1

私が生まれたのは大阪の和泉府中。両親は共働きの家庭で育ちました。

私が小さい頃はとにかくアクティブで、外で遊ぶのが大好きな子供でした。

運動でもなんでも負けず嫌いで、男の子にも負けたくない。いわゆる男勝りな性格でした。

あまりにもアクティブすぎて小一の頃に自転車で大怪我をしたことも・・・。

当時、坂道を自転車でブレーキかけないで走り切るって遊びが流行っていて、私も男の子に混ざって遊んでたんですよね。

そしたら案の定、一番スピードが乗ってる時に顔面からドンガラガッシャンと!!

全治2ヶ月の怪我を負ってしまい、顔の治療のため給食が食べられなかったのが苦い思い出です・・・。(今は綺麗に治りました!)

何事も挑戦!猪突猛進!という今の私の理念は、ここから来ているのかもしれません。

とにかくやんちゃでアクティブな性格の私でしたけど、中学くらいから家族や自分の心境が大きく変化していきました。それもとっても悪い方向に・・・。

家族の乖離とグレる私

画像2

中学生くらいから、父母の喧嘩が多くなりました。主に金銭的なことが原因で。

世の中のトラブルは元を辿ると、ほとんど金銭的なことではないでしょうか?私の家庭もそうでした。

私の父と母の性格を一言ずつでいうと、父は少し固くて古い考え方。母は柔軟で新しい考え方でした。

母は私が生まれると、「娘との時間を作りたい」という理由で当時の仕事を辞め、一年でPCインストラクターに転職しました。

PCインストラクターというのは、パソコンの操作を教える仕事です。

パソコン教室の講師をする仕事で、コマ単位の時給制なので時間の融通が効く仕事です。

未経験の状態から一年パソコンの勉強をして、手に職をつけた母は本当にすごいと思います。

そんな母も私が中学生となると不動産投資で資金運用を始めて、安定的な収入を得るようになりました。

しかし、私の父はそれが悔しいせいか、お酒をかなり飲むようになり感情が不安定になっていきました。

最初は口だけで荒れていた父でしたが、次第に私や母に対して手を出すようになっていきます。

特に猪突猛進で、父の言うことを聞かなかった私に対しては、かなり強く当たっていました。

そんな家に居るのが嫌になった私は、外をほっつき歩くようになりました。これが、私が不良少女になっていったキッカケです。

外に泊まることが多かったし、タバコもちょこちょこ吸ってました。

いわゆる典型的な不良少女で、学校も行かないことが多かったです。

そんな荒れた日常の中、さらに家族に大きな亀裂が入ります。

中三のある日、口喧嘩でエスカレートした父が包丁を持ち出したことがありました。

キッカケは私が夏休みの宿題を夜中やっていて、真面目な父は

「なんでこんな遅い時間になるまで放っておいたんだ!」

と怒鳴ったことでした。

そして父は母に対しても

「お前の育て方が悪い!」

と飛び火していきエスカレート。ついには包丁を持ち出すまでに。

流石にやばいと感じた私は警察に電話、母と娘二人(7つ下の妹がいます)はその場で保護されることになります。

家に帰れなくなった私たち3人は、3ヶ月間ホテルを点々とする生活をしていました。

結局父とは別居。実家、元いた家に私たち3人は戻り、父は社宅に住む。父には接近禁止令が出されるという結果になりました。

完全に家族が乖離した瞬間です。

ひとときの幸せと人生のドン底

画像3


父は別居、私は相変わらず外をほっつき歩く。家族はどんどん離れ離れに。

家族がそんな状態のまま私は高校に入学し、ギャルにも拍車がかかっていきました。

入学式の日、スカートかなり短く切って髪もブリーチした状態でいったら、先生に即効追い返されたのを覚えてます笑

でも高一のある日、そんな日常に変化が起きました。

帰り道の駅。前方には父がいました。

父がこっちを見て待っていたんです。当時はその瞬間、めちゃくちゃ怖かったのを覚えています。

でもその時の父は冷静で、とにかく二人でファミレスに入る流れに。どうやら二人きりで話したいとのことでした。

とにかく「ごめんね。」と言われました。

私は1時間くらい口を聞かなかったけど、本心としては根っから父を嫌いなわけじゃない。

徐々に心のブロックを外して、ちょっと他愛のない話をしてその日は別れました。

後日、これは私たちを守っている弁護士さんから聞いたこと。

父は少しずつ変わっていると。

もともと父は感情をコントロールすることが苦手でした。

でもお酒を控えたり、意識的に治そうとしているとのこと。

どうやら自分の感情を抑えられないことは、父は自覚している。そして、自ら精神科に通ってまで治そうとしている。

父も本心では家族のことは大事に思っていることは明らかで、でも感情コントロールが効かないことがある。

当時私はゴルフ部に入っていて、ゴルフ好きだった父はそれを知ると、会社の人にその事を自慢してたらしい。

今まで私に対して誕生日プレゼントをくれたことなんてなかったのに、私にゴルフ用品をプレゼントで送ってくれた事もありました。

「戻ってもいいのかな?」

母や弁護士と話し合って、家族元に戻ろうという流れになっていきました。もう一度家族4人で頑張ろうと。

高二の4月。私たち家族は同居することになり、もう一度4人でリスタートすることになりました。

そこからの私は、ちょっと家に帰るようになっていきました。家の居心地が少しずつ良くなっていったから。

同居を始めた翌月の5月、久々の家族旅行に行くことが出来ました。とってもとっても楽しかったです。

私や母が買い物をしたりする時間、昔の父ならとても嫌な顔をしていました。けれども今は、笑顔で一緒に楽しんでくれている。

本当に変わっていた。これからは本当に幸せな生活がおくれる。

そう思っていました。

同居を始めた翌月の6月。急に父が体調を崩しました。

会社人間だった父は、滅多なことでは会社を休まないはずだったけど1週間も休んでいる。ただ事じゃない様子。

流石に近所の病院に連れて行ったところ、大きい病院で診てもらった方がいいと言われました。

結果は、末期ガンでした。

当時私は、父が末期ガンだとは知らされてなかったけど、様子が普通じゃないのは何となくわかっていました。

急に父は認知症っぽくなり、入院しているのに

「昨日のご飯何だっけ?」「昨日会社行ったっけ?」

と、何かを思い出そうと必死になったり、呂律が回らなくなって喋れなくなって、目の焦点もおかしくなって、点滴の量もどんどん増えていきました。

脳に異常が出るガンで、侵攻はかなり早かったです。

最後の方は自己コントロールが効かなすぎて、ティッシュを食べたりして、私も母も必死に看病していました。

そしてある日、学校の1限目に先生から伝言が。

「お父様の容態が急変したので、病院に向かってください」

その日の深夜、父は亡くなりました。

最期の方、父は何とか喋ろうとして、私の名前を呼んで心配していました。

私は昔から父に怒鳴られ、叩かれ、嫌われているのだと思っていました。

でも多分、私を心配して大事に思っているからこそ感情的になっていたんだろうと思います。

その証拠に最期まで母や妹でなく、私の名前をずっと口にしていました・・・。

それからの私は、もう気が気でなくなっていました。

母も精神的にやられてしまい、父の部屋で一人寝ていることが多くなりました。

私は当時家には帰らず、クラブばかりいって我を忘れていました。

クスリもやっていて体はボロボロ。男を転々としてほっつき歩く。

もちろん警察にお世話になった事も何度もありました。

お金を何とかするために、キャバクラで働いていたのはこの時期からです。

もう完全にただの不良少女どころじゃない私でしたけど、18歳のある日、人生の転機が訪れました。

妊娠が発覚。なんと鑑別所(犯罪を犯した未成年を収容する施設)で・・・。

子育ては借金200万円からスタート

リサイズ

堕ろすかなぁ・・・。

育てるのは無理かなと思いました。

当時の彼氏(後のどうしようもない旦那)も、「堕ろせばいいっしょ?」と中絶する気でいました。

でも日に日に、「やっぱりこの命を大切にしたい」という気持ちが強くなっていって、産むことを決意しました。

だけど育てるにはお金がいる。

出産費用はありがたいことに母が出してくれるといったけど、今後もずっとというわけにはいかない。

学歴なし、スキルなし。

旦那も稼ぐ気はないし、子供を育てる自覚は全く持ってない。

私はすぐにお金を稼ぐ手段が見つからず、キャバクラやコールセンターで働き続けてました。

お腹の子供によくないとは分かっていたけど、明日を生きるために必死に稼ぐしかありませんでした。

稼ぐ手段を探し続けて最初にたどり着いたのは、FXの自動売買ツールでした。

みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか?

よくある

「スマホ一台で簡単に稼げます」

みたいな感じのやつです。

FXについてはよく分からい。でもとにかく必死だった私は、その自動売買ツールに縋って・・・200万円失いました。

その自動ツールは全く役に立たず、FXで200万円の損を出してしまいそのまま借金に・・・。

そして借金200万円を背負ったまま、出産の日を迎えました。

ちなみに出産日は3月20日、私の誕生日と同じなんです。私が19歳になると同時に、子供が生まれました。

「元気な男の子です!」

無事生まれて来てくれたことはとっても嬉しい。すっごく感動した。

でも一方現実を見つめると、お金がない。むしろ借金200万円。

旦那はやっぱり子供を見向きもしない。ちなみに最後まで、旦那が息子に触れることはありませんでした。

そしてある日、そんな私を見かねた母から提案がありました。

恩人。せどりとの出会い

手を差し伸べる

「この人に相談してみたら?」

母は不動産投資のサロンに入っていました。そのサロンで、ある事業の宣伝をしていた人を紹介してくれたんです。

その人はあやさんといって、シングルマザーの経営者でいろんな事業をやっているとのこと。

「シングルマザーでも、旦那に頼らずそんなに立派に稼いでいる人がいるんだ」

私は素直に関心と興味を持ちました。

そしてあやさんは事業の中でせどり、物販スクールを運営していて、その生徒の募集をしていました。

私の借金は200万円。もう何も怖いものはないし、なりふり構ってもいられない。

私は直ぐにあやさんに連絡しました。

説明を色々聞いたけど、難しいことは私には分からない。

でもとにかく稼げている人、あやさんに付いていって、自分も稼げる人間に早くならなきゃと思いました。

せどりのコンサル料金として54万円かかると聞いても、私の意思は変わらなかったです。

一般的に子供が成人するまでに掛かるお金は約4000万円。

54万円なんて、一生で使うお金からしたらちっぽけなもの。

「受けます!」

「やります!」

私は即断即決で、翌日からとにかく動きました。

メルカリやラクマは中古品を売っていた時に多少使ったことあったけど、Amazon販売やその他のツールはちゃんと使ったことありません。

せどりの経験はもちろんないので、教えてもらったことを素直にやる。分からなかったら聞く。この繰り返しでした。

デジカメ、キーボード、ルーター、プリンター、レコーダー。

私は初日だけで10万円分仕入れました。

仕入れ金はクレジットカード枠の限界まで、とにかく時間を使ってやれるだけやりました。

講師の人に「これどうですか?」とか聞きながら、いいねと言われたらひたすら仕入れました。

仕入れた商品は家電系が多かったんですけど、「これ何に使うんだろう・・・?」と思う商品もたくさんありました笑 

結果・・・初月で得た利益は23万円。

生まれたばかりの息子を抱えながらリサーチして・・・。夜泣きながら梱包して・・・。

そこから2、3ヶ月目もひたすらやり続けて出た利益は78万円。

そんな時、講師のあやさんに言われたのが

「え?利益78万円?外注化なしで・・・?」

どうやら一人で全部の作業を行って80万円近い利益を出すのは珍しかったようで、驚かれてしまいました。
(本来80万円くらいならば外注化といって、作業の一部を他に任せて効率化するのが一般的)

私のスキルがすごいのではなくて、本当に猪突猛進で睡眠時間3時間とかでやり続けただけでした(オススメしない方法です)

あやさんに外注化(梱包などを外注してリサーチの時間を確保すること)を教わって、効率化させてひたすら作業。

そして4ヶ月目の利益は150万円となりました。

どうしようもない旦那とも離婚(本当にどうしようもない話なので割愛します笑)する事ができ、お金の不安をも消え、愛する息子と笑顔で過ごせる生活を手にしました。

ただのギャルから稼ぐギャルへ

あやなさんと子供

私が得意だったこと。

あるとすれば、ただただ素直に前に突っ走ること。猪突猛進な性格は幼少期から変わってません。

今現在、私は恩人のあやさんから誘われて、せどりを教える側になる事が出来ました。

私が教えた人が稼げるようになって、笑顔が溢れるようになって感謝される。

そんな嬉しい出来事がたくさんな毎日をおくれるようになれたのは、恩人のあやさん。

最後まで私を支えてくれた母や家族の存在。

私に生きがいをくれた息子の存在。

私の周りにいる様々な仲間たち。

そして今このnoteを読んでくれているあなたのおかげです。

本当にありがとうございます。

このnoteを読んでくれたあなたは今、期待で胸が膨らんでいますか?

それとも不安な気持ちでいっぱいですか?

私から出来るアドバイスはたった一つ。

「自分に自信を持て!とにかく前に突き進め!」

ありがとうございました。

最後に

このnoteを読んでくださった方に特典です。

・副業やせどりをやってみたい
・自分も人生を変えたい
・せどりのコンサルについて詳しく知りたい

と思った方に。

約2時間の「ギャルママ無料通話コンサル」をやっています。希望の方は公式LINEのトークに「無料コンサル希望」と一言送ってくださいね!

副業をやった事がない、せどりって何だろう?という状態の方でも全然大丈夫です☺️なぜなら、大事なのは「やり方」よりも「稼いでいきたい気持ち」だからです。

こちらのnoteでお伝えしたように、私自身も右も左も分からない状況で問い合わせをしました。結局は行動するかどうか?が1番の成功する鍵です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?