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書いてみて思うこと

感じること

noteを書きはじめて感じることがある。
抽象的な記事に自分の気持ちを絡めて書くのはわりと書きやすい。
自分の中のわりとライトな部分の気持ちを書いているからだと思う。
でも心と向き合う記事を書くときは時として動揺してしまうこともある。
自分の深い部分から大切な気持ちを書き出しているのだと思う。
併せて、深い部分の気持ちは自分の弱い部分も一緒にさらけ出して書くことが多い。
余計に「カッコ良くいたい自分」がアタフタしてしまう。

意識していること

自分と向き合うことを決めてから、自分の弱さを情けないと判断しなくなってきた。まっすぐ自分の感情をみるだけ、それを「強い」とか「弱い」とか判断せずただ自分が感じてることをシンプルに認めるようにしている。
これが、以前の自分にはとてもじゃないが難しかった!
以前の私は今の自分の行動が他人からみて「強い人」に映るか気にしていた、「弱い人」と思われることを必死で避けていたように思う。

解釈の変化

そんな訳で、以前の私は感情をあからさまに表に出す人をあまり好まなかった。直ぐに怒りを外に出したり、言いたいまま言葉を発する人は苦手だった。
今でも苦手と言えば苦手だが、今は考え方が少し違う。
「素直で羨ましいなぁ」と認める部分と、「もう少し冷静でもいいかな」と考える2つの意見が持てる様になった。
だから結果的にそういう人を極端に嫌わなくなった。
気になるということは「私に必要な何か」を持っていたり、「私と似た部分」を持っていると思える様になったのだ。
極端に嫌わず、受け入れる余地を持てたことは私にとって大切な成長です。

結局は大好きな自分

今でも自分は日々動揺したり、時に気持ちが上手く調整できない感覚も覚える。
でもそこを自分でちゃんと調節する姿勢、待てば治まることを自分が理解して、目の前の行動に集中する姿勢が身に付きつつある。
深呼吸、頭を軽くマッサージする、治まるイメージを頭に描き続け静かに過ごすこと。
と同時に、自分のあらゆる感情を許し受け入れようとしている。
どんな気持ちを抱いたとしても良い悪いを判断ぜず、「そう感じたんだね」ってただ受け入れる感覚。
想像力豊かな自分の思考には時に苦笑いする。
でもそんな自分こそ大好きである事実が、今の私にとって大切なこと!
結局、自分の短所と感じる部分は自分の大好きな部分でもあるのだから
同じように愛しいていきたいと感じる、今日この頃。

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