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目の前の信じたいものだけを信じればいい

人には多面性がある

あの人の前ではあんな顔、この人の前ではこんな顔、それぞれ場所や人に応じて「違う顔」を持つのはごく普通のことだと思っている。

私には中学1年生の娘がいるが、私の前では「娘」であり、おじいちゃんおばあちゃんの前では「孫」、兄の前では「妹」、学校で友達と過ごす時間は「女子中学生」、そして家で一人で過ごす時は「女の子」になる。

それぞれ別の顔を持っている。

私は娘の「娘」でいる時しか知らないし、学校での顔を知りたいと思う事もあるけど、先日ピアノの発表会で仲の良い友達が見にきてくれて、その子達とキャッキャッとくっついておしゃべりしているのを見て、娘の「女子中学生」としての顔は十分伝わってきた。それ以上詮索しようとは思わない。

そして、ひたすら家でスマホやPCに向って一人の時間を過ごす時も、正直「何をしているのだろうか?」と思うけど、そこは干渉せずに何も言わずにグッと我慢している。
私は娘のスマホを勝手に見たりはしないし、部屋にも入ったりしないし、机の引き出しを開けたりもしない。

それらは自分が子供時代にやられて、とても嫌だったから絶対にしない。

・変な漫画を描いていたこと
・変な小説を書いていたこと
・変な日記を書いていたこと
・変な呪いの人形を作っていたこと

思春期の自分が一人の時間にやっていたことは、今となっては本当に恥ずかしい事ばかりだったけど、そんな自分が面白かったし、自分というものを形成するには必要な時間だったと思っている。


芸能人の不倫問題や近所のママさんの浮気話を聞くと、
「へー、そんな風に見えないのにね」
という印象を受けるが、人それぞれ「顔」があるのだから仕方がない。

近所のママさんで言うと、世間一般から見たら「いい母親」だが、旦那さんにとっては「いい奥さん」であり、不倫相手にしてみたら「いい女」である。しかしながら、私から見たらそれこそ「ママ友」なので、「ママ友」の前で「いい女」の顔なんぞ出す筈もないから「浮気するような人には見えない」となるのだ。

急に話をぶっこむが、「高知東生」という芸能人は誰もがご存知だと思うが、かつておしどり夫婦と呼ばれた「高島礼子」の元旦那だった人だ。彼は、セフレとキメセク中に捕まったという、なんともそれはお粗末中のお粗末な事件だったが、そもそも高島礼子はヤクもセフレも全く知らなかった、という話だった。

知らなかった

それはそれで良かったのではないか?

真実なんて知らない方がいい場合がある。
なんでもかんでも真実を暴いた所で誰も幸せにならないことがあるし。
私は「相棒」というドラマが好きでよく見ていたが、杉下右京は真実を求めすぎだと思った。「そこまでしなくてもいいじゃねーか」と思う回が何度もあった。


そう、私は何が言いたいかと言うと、人には「隠したい自分」がいる場合は、いくら近くにいる人でも無理やりその扉をこじ開けないで貰いたいのだ。知りたいかもしれないが、知られたくないから隠しているのだから。

ただね、隠そうとしてダダ漏れちゃってる人を見つけたら私は指摘するよ。匂わせとかバカな事をやってるヤツにはしっかり忠告しますから。


っと、

最後は何が言いたいのかわからなくなっちゃったけど、私もこのnoteの中で「顔」を持っているから、これからもnote用の顔として今後も書いていきたいと思っている。
読んでくれる方は、どうかその直感を信じて、あまり余計な詮索をせずに読んでくれたら幸いです。





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