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#5 ひとり遊び

私は公園で遊んだことがない。

子供だから当然そういう場所に行きたがる。でもひとりでは行けないから母にせがむ。すると母は「ママのお洋服が汚れるから嫌よ。それに知らない子が卯月に意地悪してくるから行かないほうがいいわ。」と主張する。知らない子が意地悪だってなぜ分かるの?と当然の疑問をぶつけると怒る。幼いながらに納得がいかないから食い下がり、最後には引っ叩かれるのがお決まりのパターン。母は父が居ないところでよく私に手をあげる人だった。

「親に口答えなんて生意気よ。ママの言うことは絶対なの。ママは正しくて間違っているのはいつも卯月なの。分かった?分かったなら謝りなさいよ。ごめんなさいって言いなさい!だいたいこんなに沢山のおもちゃを買ってあげてるのに、どうして外で遊びたがるの?わがまま言わずに大人しく家の中で遊びなさいよ!」

そしてある時、作業着の人たちがやってきた。小さくて狭い庭の片隅にちいさな砂場を作っていった。

「あんまり公園に連れていけってしつこいから頼んだのよ。だからもう二度と公園に行きたいって言わないで!」

この人は子供の気持ちが分からないんだ。ひとりぼっちで砂山を作って泥だんごをこねて何が楽しいっていうんだろう。家で遊べと言いつつも、子供の目線で一緒に遊ぶという行為が母はとても嫌いだった。そこで持て余すほど大量のおもちゃを買い与え「これだけあったらひとりで遊べるでしょう?ママは大人だから幼稚な遊びには付き合えない。卯月はお利口さんだから大丈夫よね。」

この頃、母にとって伝家の宝刀は「お利口さんだから」というワードだった。この一言を付け足せば絶対に逆らうはずがないだろうという強迫めいた使い方。

傍らに母は居るにも関わらず、いつもひとりで過ごした幼児期。時間を持て余した私は見よう見まねで文字を書き始めた。幼稚園に上がる頃は漢字もかけるほどに。決して賢いからではない、他にすることがなかったからだ。でもその姿に母が激怒したのをよく覚えている。何故なら私は鉛筆を左手に握りしめていたから。

「うちの家系に左利きなんて居ないのよ。なんで卯月だけが左利きなのよ、みっともない。いい?よその子はみんな右で持つの。絶対に左は駄目!」

母の機嫌を損ねないようにと注意を払っても、気が抜けるとつい左手に持ち替えてしまう。そして母は必ずそれに気づく。「最低限、お箸と鉛筆だけは絶対に右じゃなきゃダメなの、みっともないわね。なんで分からないの!」と私の左手を机に乗せて叩く。

...ねぇ、私はみっともない子なの?




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