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#7 絶望

母との不仲を決定づけた出来事は私が4歳の時に起きた。その時のシチュエーションは今でも鮮明に覚えている。

幼稚園にて。先生が質問を投げかけた。「みんなが一番好きな人は誰?」と。ママだのパパだのと園児たちは一斉に大騒ぎ。その場を静めた後先生が「ではお家に帰ったら同じ質問をしてきてください。それが宿題。みんながお父さんお母さんを好きなようにお父さんお母さんもみんなが一番好きと答えますよ」

帰宅早々質問をすると、母は間髪いれずに即答した。

「おばあちゃん!」

呆然とする私に「ママのお母さんのことよ」と丁寧な補足をした。震える声で聞き返すと「しつこい。だからおばあちゃんだって答えたじゃないの。おばあちゃんが一番。卯月は二番。」

幼い頭で必死に考えて質問の仕方を変えた。

「じゃ、おばあちゃんが死んだあとは私を一番好きになってくれる?」

母は途端に血相を変え「なんて末恐ろしい子なんだろう。卯月はママの大切なお母さんが死ねばいいと思ってるのね。どうしてこんなひどい子供に育ったのかしら。今すぐ謝りなさいよ。『おばあちゃんに早く死ねなんて言ってごめんなさい』って、ほら早く!」

顔を真っ赤にして怒る母に気圧される一方、その姿を冷静に眺める自分がいた。何言ってんの?どうしてそんな話になっちゃうの?

「嫌だ、謝らない。だっておばあちゃんが死ねばいいなんて言ってないもん。」

「嘘つくんじゃないわよ、たった今言ったじゃないの」と思いきり引っ叩かれた。

父のもとへ行き同じ質問をすると「卯月に決まってるじゃないか」何をそんな分かりきったことを、とでも言いたげな表情に安堵し、滅多に泣かない私は声をあげてわんわん泣いた。

うすうす感じていたのだ。母は私に愛情を向けていないんじゃないかって。それでもかすかに期待していた、嘘でもいいから一番だという言葉を。しかしあまりに素直な返答に現実をつきつけられた思い。この先何か起きてもこの人は私を守ってくれないのだろう。親の庇護の下でしか生きられない4歳児が 『母親』という絶対的な存在に見切りをつける。母娘の確執はここから始まった。

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