見出し画像

#11 里帰り

故郷が大好きでたまらない母の一大イベントは何といっても帰省。夏と冬それぞれ二週間の滞在をする。連れて行かれる私はたまったものじゃないがそんなの関係ない。

母はとにかく一人では何も出来ない。自主性が全く無く、一から十まで人任せで生きている。分からないことは分からないままで結構、出来ないことは出来る人が代わりにやれば解決という考え。しかも「出来ないこと」は想像を絶するほど沢山ある。

例えば一人では電車に乗れない。目が悪いから表示板に記された目的地の料金が見えず、切符が買えないからというのが理由だ。そこで私がおそろしく真っ当な言葉を投げかけてしまう。「ママ、眼鏡かければ」と。(たいてい猛烈にキレられて終わる)

東北新幹線なんて開業していなかったこの頃、上野駅の指定席まで父が送ってゆくのが恒例だった。座る席が自分で探せない、間違って人の席に座ったらどうするんだと主張するから。

上野駅の東北本線のホームは薄暗くて好きじゃなかった。これから辛い2週間が始まるかと想像するだけで気分が重くなる。そのスタートとなる場所。

降車駅では伯父がホームでスタンバイ。予め号車と座席番号を伝えておき、降りてくるドアの真ん前で待っているのである。改札の外で待ち合わせたらいいだろうと思うが、改札口を間違えて会えなかったら困るでしょうというのが母の言い分。

片道7時間もかかる道中は子供時代に乗り物酔いをする私にとって地獄のような時間だった。気持ち悪くなるから田舎に行きたくないと必死に訴えてもわかってくれないどころか「おばあちゃんに会いたくないとでも言いたいわけ?」と怒られる始末。観点のズレた母に意見しても到底太刀打ち出来ないのだ。

実家に着けば母は私のことなど眼中になく、母親と兄とでお喋りに夢中。大人の話に口を挟むものじゃないからさっさと寝なさい、と追いやられる。見慣れない部屋の暗闇は恐怖を増大し、壁にかかる知らない老人たちの写真。どうして仏間に寝なきゃならないんだろう。仏壇が何か音を立てたような気がしてくる。柱時計が大きな音で鳴り響く。怖くて眠れないけど起きていったら怒られる。2時間ほど耐えてもやっぱり寝られなくて、笑い声の響く居間に行く。

「まだ寝てなかったの?子供が起きているような時間じゃないのよ、一体何時だと思ってるのよ!」

頭ごなしに叱られる。早く家に帰りたい。

実家に居ると母はよく笑った。その表情が珍しくてじっと見つめる。家にいる時、あんな顔しないよなぁって。ご機嫌でいてくれたらいいのだ、私に意識が向いていないから理不尽に怒られることがない。でも面倒くさいことを言い出すのが母。

「ママが好きな人は卯月も好きになるのよ。ママの嫌いな人は卯月も嫌うの、分かったわね。だからママのお兄さんを好きになってうんと甘えるのよ、いい?」

いや、分かんないでしょ普通。

私は母の人形じゃない。お願いだから私の感情をコントロールしないでよ。早く東京に帰りたい。楽しみなイベントを指折り数えて待つように、ひたすら家に帰れる日を数えて待った。帰省は修行のようだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?