見出し画像

お土産と、わたしの物語

夏季休暇が終わって、最近よくお土産をもらう。

ご当地の有名なお菓子とか、ふふっと笑ってしまうようなネタ感満載のおせんべいとか。可愛いキャラクターがプリントされたクッキーとか。

お土産って、旅のおすそ分けのような気がして、とってもほっこりした気分になる。

わたし、お土産って、とっても好きなんです。

別に、何かをもらうことが好きとか、そんな厚かましいやつではないんだけど。

お土産って、自分が普段行かない場所や特別な場所に行ったときに、そこに来ていない普段の自分の居場所で待っている人たちに、思い出のおすそ分けとして贈るものだと思ってるんだよね。
で、その何が良いのかというと。
その普段とは違う非日常だったり、特別なことをしているその貴重な瞬間に、一瞬でも自分のことを考えてくれている時間があるってことが、とてもとても嬉しいことだなって。
お土産売り場で何を買うか悩んでいるとき、そのときに少しでもわたしのことが浮かんだからこそ、こうしてお土産をいただけるんだと思うと、これほどに嬉しいことってあるのかなって思う。
まぁ、大容量のお菓子を"職場の人へ!"ってばら撒かれてるようなやつは、また話は違ってくるのかもしれないけれど(笑)

お土産だけじゃなくて、プレゼントもそう。
モノ自体も嬉しいけれど、「何をあげれば喜んでくれるだろう」「何が好きなんだろう」そういってたくさんたくさん悩んで、頭抱えて、色んなお店を回って。それだけいっぱい考えて選んでくれたプレゼントなんて、どんなものをもらったとしても嬉しいに決まってる。


そんなことを考えてたら、ふと読んだ本『世界から猫が消えたなら』に、まさに同じことが書かれていた。

プレゼントは、物"そのもの"に意味があるのではなく、選んでいるとき、相手の喜ぶ顔を想像する"その時間"に意味がある

とっても簡潔に、わたしが言いたいことがまとめられていた。そう。そうなの。わたしが思っていたのって、こういうこと。

時間って、誰にとっても有限で、一度過ぎるともう戻ってこない、貴重なもの。そんな大事な時間の一部を、わたしのために使ってくれるって、とてもとてもありがたいし幸せなことだよなあ。

僕が何気なく過ごしてきた時間が、とてつもなく大切なものに思えてくる。
残りの人生、大好きなあの曲を、あと何回聴くことができるだろうか。あと何回コーヒーが飲めるのか。ごはんは何回、おはよう何回、くしゃみ何回、笑うのはあと何回だ?

わたしだってあなただって、いつ死ぬのかはわからない。でも、一度きりの人生だとしたら、わたしは幸せだと胸を張って言えるような人生を送りたい。

自分の人生が1冊の本だったとしたら。そこに、しおりをはさんだり、目立つようにマーカーを引いたり、すぐに見れるように折り曲げたり、そんな大事にしたい部分がたくさんあるような物語にしたい。

こうしている今も、自分という物語の途中で。そしてまた、誰かの物語にも登場していたりして。

お土産とかプレゼントって、きっとその誰かの物語の中に、ほんの少しだけ登場させてもらっているような瞬間だと思ってる。
だから、お邪魔できてとっても嬉しい(笑)


また明日になれば、自分の物語に新しい1ページか追加される。そうして、どんどん積み重なって分厚い1冊が出来上がる。どのページをめくってみても、幸せで溢れるような1冊をわたしは作りたい。


そーんなことを考えながら、お布団に入る。

今日もお疲れ様でした。


#ひとりごと #日記 #あやめしのひとりごと #まいにち日記部


サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。