見出し画像

36.2〜死にたくなったあの日のこと〜

今日、私の住む街は雲ひとつない青空だ。
うつ病の症状で、死にたくなったあの日をふと思い出す。

なんとなく、なんとなくなんだけど、
うっすらと「あ、死のうかな」と思って、ベランダに出た。
ちょっと下をのぞき込んでみたりもした。

でも、天気が曇りだった。
「どうせなら思いっきり天気のいい日に死にたいな」、ぼんやりした頭にそんな思考が浮かんできて、すごすごとベッドに戻った。

その後のことは覚えていない。
でもたくさん涙を流した気がする。

メンタルクリニックの次の通院日に、「ひとりで家にいると飛び降りてしまいそうなので、入院したいです」と伝え、入院施設のある病院を紹介してもらい、精神科閉鎖病棟に入院した。

あの日、今日みたいな晴れ晴れとした空模様だったなら。
私はもうこの世にいなかったかもしれない。

人生は偶然の連続だ。
自分の意思だけではままならないことがほとんどだ。
人と人とが出会い、ご縁がつながったりつながらなかったり、時には生物でない存在に影響されたりもして、ただ一切は進んでゆく。

最近映画を観た。
製作陣が意図しているかどうかは知らないが、「一生に一度きりのチャンスを逃したとしても、生き続ける限りまたいつかチャンスは巡ってくる。だから諦めず生き続けろ」というメッセージを、勝手に受け取った。
自分の現況に寄せまくった解釈で恐縮だが、どんなに小さな希望でも、とにかくすがりついて人生を続けることしか、今はできない。
藁でもぺんぺん草でもなんでもいいから掴んで、生にしがみつくのだ。
毎日飲まなきゃいけない薬は大量だし、頻繁にあらゆる病院に行かなければならないし、そのくせ沈むときは沈む。
それでも生きるのだ。

最近困ったことがあり、その分野に詳しそうな昔の上司に、約6年ぶりに連絡を取った。
元上司はとてもお忙しい方なのに、私の質問に対してその日のうちにきっちりと、かつわかりやすく回答をくれた。
おかげさまで困りごとが無事解決して、すごくありがたかった。
人生の伏線回収をした気分だった。
助けてくれる人は、ちゃんとどこかにいるのだ。

今は家族に頼りまくりの生活をしている。
家族も仕事でいろいろあってとてもしんどいのに、私を支えようとすごく頑張ってくれている。
私も家族が困ったときには、きちんと支えられる私でありたい。
すでに一生かかっても返しきれないほどの恩をもらっているけれど、少しでも返すために、私は生き続けるのだ。

さて、こんなに苦しいのに、なぜだか不思議と筆は進む。
私意外と作家に向いてるんじゃない?じゃあ目指しちゃおっかな、芥川賞とか。
子供の頃、最年少で受賞して、文学界の話題をかっさらったあの2人みたいに。
最強にかっこよくて、私もご多分に漏れず憧れて、はじめて短編小説を書いてみたんだっけ。
恥ずかしくて当時の文章は読み返したくもないが、人って変わらないな、あの頃とやってること一緒じゃん。
ていうか苦しいからこそ、こんな文章が書けるのかな。
人に響くかはわからない、ただの自分の感情の垂れ流しだけど。
もしもどこかの誰かに届いて、その人の命を救っちゃったりなんかできるなら。
夢でも妄想でもいい、生きるんだ。
生きて書き続けるんだ。

私が抱える発達障害、とりわけ自閉症の平均寿命は、ある研究によると36.2歳だという。
すでに30歳を超えている私は、そっくりそのまま信じるならば、あと数年の命ということになる。
でもね、超えてみせたい。
まだまだやりたいことだらけなのに、そんなの短すぎる。

人間万事塞翁が馬。
私の好きな言葉だ。
もちろん医療には大いに助けられているけど、同じくらい、今の私は言葉に生かされている、そんな気がするのだ。
死んじゃいたいくらい苦しいとき、人の心を助けてくれるひとつの大きな要素は、広い意味での「文化」ではないだろうか。
小説だっていい、アニメだっていい、漫画だっていい、エッセイだっていい、ことわざだっていい、詩だっていい、食文化だっていい、歴史学だっていい、音楽だっていい、芝居だっていい、絵画だっていい、何だっていい。
昨今は「文系不要論」がSNSを賑わせ、その度に炎上騒ぎが起こっているが、私は人が生きる上で、決して軽視してはならない分野だと思う。

私は「人生の野望リスト」をこっそり作っている。
・大学院に行って文学や歴史を勉強したい
・子供が2人欲しい
・車を運転できるようになりたい
・本を出したい
・柴犬を飼いたい
・おじいちゃんの文学コレクションや自分の手持ちの本を集めて、一番本を大事にしてくれる図書館に寄贈するか、私設図書館を作りたい
・英語を話せるようになりたい
・家族と一生一緒にいたい
これらはほんの一部だ。ほらね、人生が36.2年間では短すぎる。

私はこんなところでは終われない。
絶対に超えてみせる、「36.2」を。
持病だらけだから、大往生は難しいかもしれないけど。
それでもやりたいことをやりきって人生を終えたい。
死ぬ瞬間って絶対想像もつかないくらい苦しいけど、朦朧とした意識の中でも、やってやったぜ!って思いながら死にたい。

だから私は、生き続けるのだ。

今日はベランダに干しっぱなしの洗濯物を取り込むのはやめておこう。
万が一私の人生が絶たれたら、私が一番困るから。
今日もベッドに寝転びながら、読みたい本でも読んで、ゆっくり過ごそう。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?