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わかり合えないけどクッションは貸してあげたい〜反省会はつづく~

そんなん言われたら私だって悲しいわ

去る8/31に中間発表の結果が出たこちらのコンテスト、あえなく散りまして、まだ反省会をしています。

こちら、わざわざ労力とお時間を割いて、我々に「落とした理由」を教えてくださったんです。

この記事はもう、刺さりすぎて痛快というか。
最初はあまりに自分の文章を客観的に見れていなくて、「私の文章、当てはまってるのかよくわからん」状態だったんですが、時間の経過とともにじわじわとボディーブローのように効いてきました。

私、ちゃんとやらかしてます。


前回の反省会会場はこちら↓


ジャスミンさんが魂込めて教えてくださったおかげで、「そこまで納得感もってけちょんけちょんに言われては仕方がない、わっはっは~、よし次頑張ろう」って気持ちなんですが。

実はひとつだけ、傷ついた記述がありました。



初対面の人にしちゃいけない話題っていっぱいありますよね。

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物。

なんでもいいんですけど「これは初対面の人に言っちゃだめだろ」という話題は、それが「面と向かっての会話」ではなく「文章ごしの伝達」だったとしても。

言っちゃ、だめなんです。



これ、今からでも「命」と「病い」を削除してもらえませんか。

でないと私、書けなくなってしまう。





私は発達障害とうつ病、その他もろもろの精神疾患を抱えていて、その話題を記事にすることが多いんです。

これらの「病い」って、私が生きることと直結してて。
切っても切り離せないものなんです。
生きることと直結している、ということは、書くテーマとして大きな比率を占めるわけです。

健康体の人との隔たりを感じて、めちゃくちゃ悲しかった。
あ、この人とはわかり合えない、伝わらないんだなーって。




実は「あなたを落とした理由」の記事を読んでから、気持ちにフタをして、平気なふりをしていました。
でも、本当は、ここだけが悲しかったです。
どうも脳の特性上、自分の感情に気づきにくくて。
あとからこちらの記事に、思い起こさせてもらいました。

駆里もぐさん、ありがとうございます。




でも、そういうことじゃねぇだろ

センシティブな文章を、読むことを強要する。

私にそれを強要したあなたに一つ聞きたいんですが。

それって、暴力と何が違うんですか?

本当に、悲しかったです。


ええ、こちらだって悲しいです。
そんなこと言われたら。



でも、先ほどの駆里もぐさんの記事。
あの記事で、「あ、私には配慮と想像力が足りてないんだ」って、ようやく腑に落ちたんですよね。

例えばですよ。

私には年の離れた兄がいた。とっても優しくて、いつも鬼ごっこをして遊んでもらった。頭がよくて、勉強もわかりやすく教えてくれたから、私はいつも学年トップの成績だった。ところが、兄が22歳のころ、就活がうまくいかず、うつっぽくなってメンタルクリニックにかかったら発達障害だとわかった。人生に絶望した兄は、そのまま自ら命を絶ってしまった。大好きな兄の死に目にも会えなかった。そこから私は心を閉ざしている。もう、発達障害のはの字も、うつ病のうの字も、精神疾患のせの字も聞きたくない。


こんな人が、何かの間違いで、私の記事をたまたまクリックしてしまったとします。
そこは「発達障害」「うつ病」「精神疾患」の文字列のオンパレードなわけです。





そんなの、大ハラスメント暴行傷害殺人事件じゃないですか。






私はいつも私の命を守ることに必死だけど、言葉は武器になりうるんです。
この人に致命傷を与えてしまうかもしれません。


私は、「言葉を扱うことは生死を左右すること」に、もっと自覚的になるべきだ。





でも、センシティブな話題を絶対に書くな!とは、ジャスミンさんは別に一言も言っていないんですよね。
要するに、大事なのはクッションですよね。
「あなたが読みたくなければこの先は読まなくていいよ」という、配慮をもったサインなんですよね。
あるいは、読んでもらっても問題ないように言葉をやさしく包んであげること、そして読み手と信頼関係を構築することなんですよね。


私はわかり合えないあなたにも、クッションを用意してあげたいんです。


このサインの出し方、言葉の包み方、まだよくわからないです。
というか、「粋な感じで書けない」が正しいです。
今後の研究課題とさせてください。


しかし、サインの出し方について、駆里もぐさんが、素晴らしい分析をされていました。

①誰に読まないでほしいのか
②なんで読まないでほしいのか
③読まないかわりにどうしてほしいのか(ここに相手への気遣いがあふれている。まるで玄関まで来てくれたひとにお土産もたせて気をつけてねって送り出すみたいに)

こういうことなんですよね。勉強になります。
これを今後、身につけねばなーと思います。




ただし、小説はどこまでも自由

でも、例外となる文章が存在していると私は思っていて。
それが小説です。特に純文学。

みなさん、昨年の芥川賞受賞作、市川沙央さんの『ハンチバック』読まれましたか。

あれ、まさに下記のような、タブーの羅列です。

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物。

この小説は、存在自体暴力でした。
でも殴られまくって、逆に気持ちいいんですよね。
そこが魅力だと思います。

私はエッセイだけでなく、小説も書きます。
実は今も公募用の小説執筆中です。
だから、使い分けをできるようになりたいです。
芥川賞に憧れるならなおさら。



文章修行はどこまでも

書き続ける限り、書く苦しみも同時に続いていくんだろうなーと思います。
でも、苦しみ抜いて書かれた文章って、美しかったり、面白かったり、感動したりします。

今は自分のために書いているけれど、いつか人に文章を届けたいから。
私、苦しみまくります。
あ、でもうつ病が再悪化しない程度で。
自分の持続可能性を大事にしながら、書き続けます。




※2024.9.4追記
この記事をアップした直後、なんと藤原華さんご本人からXでDMを頂きました。
通知が来た瞬間、目を疑いました。

私が傷ついたと書いた「命」「病い」の記述の削除、さらには「センシティブな話をする前には合図が必要だよ」という意図が伝わりやすいよう、記事をリライトしてくださった、とのご連絡でした。
合わせて大変丁寧な謝罪のお言葉を頂きました。
お忙しいはずなのに、マネージャーと2人で、この記事を何度も何度も読んでいます、と言ってくださいました。

謝罪を求めてこの記事を書いたわけではありませんし、まさかこんな弱小アカウントの主張が即座に聞き入れてもらえるとは毛頭思っておらず、大変驚いています。
そしてこんなに丁寧なご対応をしていただけたことに、深く感謝を申し上げます。

感情がぐちゃぐちゃで、泣きながら華さんに返信を打ちました。
華さんも泣いていたそうです。

ここまで読んでくださったあなたも、ぜひ、「落とした理由」の記事を細部まで読んでみていただけませんか。
華さんはとてもやさしく、思いやりがあり、そして言葉にものすごい責任感を持っている方です。
一度読まれたあなたも、すでに何度も読んだよ!ってあなたも、もう一度、読み返してくださいませんか。
我々noterへの愛がさらに伝わる文章へブラッシュアップされています。

私からのお願いです。
どうか、どうかよろしくお願いいたします。





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