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人間が生きることを肯定したい・31「大切な後輩たちへ」

目次

<今を見極める>

<誇りに縛られたい>

<自分の生きる場所はどこ?>

『20代のうちにどれだけ自分に種を蒔いたかだよ。
それによって、30代以降の人生が決まる。
ちゃんと蒔いておけば、
30代からポンポンと芽が出てくるから』

~尊敬する年上の友人から~

<今を見極める>

今、自分が何をすべきかを見極める。

1日1日の単位では、誰しも今日の予定を確認しながら動いているだろう。
1週間、1箇月、1年単位くらいまでは、
スケジュールを組んで動く人も別に珍しくないだろう。

では、3年後は? 
10年後は? 
50年後は?
「自分はどう死にたいのか?」を常に考えながら日々動いている人が
どのくらいいるだろうか。

私は「50年後、自分はどう死にたいのか?」を考えながら
毎日生きている。

50年後とまではいかなくても、
3年後、自分がどうなっていたいかを思い描けば、
私はいてもたってもいられなくなる。

そのために今、私は何をすべき?

未来というのは、たった今、この瞬間の積み重ねだ。

たった今、この瞬間を大切にできなければ、
望む未来なんて来ない。

つまり、
できうる限り「今」を大切にすることこそ、
どう死にたいかを真剣に考えることなのだ。

なぜなら、
人生は偶然や運命のいたずらの連続だから。
禍福はあざなえる縄のごとし。
人間万事塞翁が馬。

どんなに先を予測してみても、
そのとおりになることのほうが少ないくらいだ。

でも、その偶然や運命は、
一体どこからやってくるのか。
それは自分の行いからやってくる。

自分の行いのひとつひとつ、
生きてきた一瞬一瞬、
積み重ねてきた数限りない選択の結果が、
偶然や運命という形で自分にふりかかってくるだけのことなのだ。

例えば目の前のゴミを拾ったのか、素通りしてしまったのか。
そんな小さな選択が、のちのち大きな余波となって自分に帰って来る。
そういう目に見えない、立証もできない大きな流れというものを、
私は信じている。

今はこの仕事をやるときだ。
今はこの勉強をやるときだ。
今はこの恋愛に生きるときだ。
今は家族を一番に考えるときだ。
今はこの夢をひたすらに追うべきだ。
今は世界を放浪するときだ。
今はじっと亀のように耐えるときだ。
今は何も考えず眠るときだ。

・・・誤解しないでほしい。
今、何をすべきか考えるということは、
ただもうがむしゃらに馬車馬のように頑張れ!ということではない。
心と体の「気」の巡りが一番心地よく流れている状態を
維持することである。

今、自分が何をすべきかを、いつも見極めていたい。
そして50年後、「私の人生、悪くなかったな」と、笑って死にたい。

<誇りに縛られたい>

死に際に笑って「悪くなかったな」と自分に言ってあげられるかどうかは、
そのときの自分の心だけが知っているだろう。

私はそのときの自分のためにも、
誇りを捨てずに生きていたい。

誇りを捨てずに生きるためには、
それだけの「力」が必要だと思う。

例えば、経済力。
運良く玉の輿にでも乗ることができれば、
社会に出て働かずとも優雅な暮らしができるかもしれない。
けれども、夫との仲が冷えてしまったらどうだろう。
そのとき自分にお金を稼ぐ手段が何もなかったとしたら、
経済力にすがるためだけに、
別れるという決断ができないかもしれない。

例えば、社会的地位。
会社の中で人道的にどうしても許せないことが起きたらどうだろう。
自分の大切な人が不当な仕打ちにあったら?
会社とは基本的にピラミッド構造だから、
社長でもない人間が会社の方針に逆らえば、
待っているのは解雇、もしくは解雇と変わらないほどの冷遇である。
そのとき自分の将来に自信がなければ、
見て見ぬふりをし、
良心に蓋をしてだんまりを決めこむしかないだろう。
「クビになったっていい!」と最後の直談判をできるのは、
ふだんから周りに必要とされ、
また自分も自分の力を信じている人物だけなのだ。

自分の誇りが試される場面で、
毅然とした態度でいたい。
そのために、いつ、何があっても、
自分ひとりで立っていられる力が欲しい。

保身に縛られるのではなく、
誇りに縛られたい。

私は自分が弱いことを知っている。

逆境とか悲劇とか挫折とか貧困とか裏切りとかに、慣れていない。
また、自分がどれだけ周りに支えられ、
守られているかも知っている。
人一倍「甘い」人間だということも。

だから尚更のこと、
自分が簡単に誇りを捨ててしまいそうで
恐いのかもしれない。
恐れるがゆえに、努力できるのかもしれない。

<自分の生きる場所はどこ?>

人は誰にでも「自分の場所」というものがあると思う。

「今」を大切にしながら、
誇りを捨てずに生きていくために最低限必要なことは、
「自分の場所」を見つけることだ。

私が今「ここ」にいるのは、
「ここ」が自分の場所だからだ。
誰のためでもない。
自分のいるべき場所だからだ。

「ここ」というのは、
家庭であり、
今の会社であり、
今の人間関係である。

「ここ」が自分の場所だと感じられる限り、
私はその場所で力を尽くす。

しかしそこが自分のいるべき場所ではないと心が感じれば、
私はそこから立ち去るだろう。

心に従いたい。
お金や地位や安定にではなく。

第22号に書いたことを思い出す。

『今あなたのお財布の中にあるお金だけで、
あなたは驚くほど遠くに行くことができる』

とにかく世界は広い。
とてつもなく広い。
想像もつかないくらい無数の場所、
無数の生き方が存在する。

その中に必ずや、
あなただけの生き方があるのだ。
あなただけの、
あなたのための、
あなたが生きるべき場所がある。

人が希望を見失ってしまうのは、
どこにも逃げ場所がなく、
先が見えなくなるときではないだろうか。

でもどこにも逃げ場所がないなんてことは、
ぜったいにない。
そう思えるのは、
何かに縛られているか、
世界が広いことを忘れているかのどちらかだ。

でも第27号で言ったとおり、
あなたは、あなたひとりを幸せにしてあげるだけでいい。
そう思ったら、なにものにも縛られることはなくなる。

そして空を見上げる。
その空がどこまで続いているのかに思いを馳せれば、
次の一歩はきっと踏み出せる。

さんざん迷って、
ようやく「ここだ!」と確信した場所が元の場所だった、
なんてこともあるかもしれない。
それはそれでひとつの決意だろう。

さて、
『あきらめの壁をぶち破った人々』という本の中に、こんな場面がある。
(この本は「小説仕立て」になっているビジネス書である)


『島津さんのその強さというのはいったいどこからくるんですか。
(中略)
島津さんは会社に対するスタンスが他の方とちょっと違いますよね』

『一つの評価系の中にいないってことさ。
会社以外の複数の組織に属していると、
会社ではこう言われたが、
あそこではこう評価してくれるという具合に、
自分のいろんな側面が見える。
(中略)
外にはいろんな生き方や価値観があることが分かって、自分が広がるよ。
すると会社での評価は相対化されて、
出世なんて大したことじゃないと分かってくる。
つまり、複数のモノサシの中に身を置くことによって
薄っぺらい自分が立体的になる。
まずはそうやって自分を取り戻すことだ。
(中略)
自分を取り戻したら、
次は自分が"どういう地平"に生きるかを決めることだ』


あなたはどこにでも行けるし、なんにでもなれる。

アンテナを張り巡らせて、
自分の生きる場所を見つけよう。

仕方なく、なんとなく、惰性でそこにいるのではなく、
心から生きていると思える場所を見つけよう。

そして、今、ここにいることを「良かった!嬉しい!幸せだ!」
と体中で思える瞬間をつかまえよう。

その瞬間の探索こそ、人生なのだから。

あなたの人生は、あなたに幸せに生きてもらえるのを
いつでも待っている。


=====DEAR読者のみなさま=====


この号は、当時の会社の後輩たちへのメッセージとして書きました。
縁あって会社という組織の中で知り合った彼らに、
会社という枠にとらわれない幸せをつかんでほしいと
いつも祈っています。

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