見出し画像

河合隼雄を学ぶ・16「中空構造日本の深層①」

「中空構造」「中空性」ということが日本人の基層心理を説明するのに重要な観点であり、欧米の文化の基本的な在り方と明らかに異なる点である。この「中空構造」「中空性」について掘り下げているのが本書である。

日本と日本人を考察しつづけた河合隼雄の論の中でも、この「中空構造」「中空性」という概念は大きなものだと思うので、本書を丁寧に紐解いてみたい。

【神話的知の復権】

本章で河合隼雄は、「科学の知」に対するものとして「神話の知」をとりあげている。

ユングは「軽くした荷物をもって、ヨーロッパ人はますます加速度を早めながらはっきりしない目標に向かって彷徨の旅を続けている。重心の喪失と、それに相応して生じた不全感を、ヨーロッパ人は、たとえば蒸気船、鉄道、飛行日、ロケットのような、彼らの勝利の幻想によって補った」と述べている。このセリフはミヒャエル・エンデの「モモ」の中で、時間泥棒に時間を奪われた人々をどことなく彷彿させる。ユングが自らの内科医の中に探し求めようとしたことは、「お前の神話は何か---お前がその中に生きている神話は何なのか」ということであった。

「神話の知」について、中村雄二郎氏は「神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事と、それから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味をもったものとしてとらえたい根源的な欲求」であると述べている。つまり、「私たちは、どこから来て、どこへ行くのか」を知りたいという根源的な欲求だと、私は理解した。神話はその根源的な欲求に対し、物語を提示することで答えてくれる。

科学の知が肥大化し、自分という存在を「宇宙論的に濃密な意味をもってとらえ」られなくなった人々は、不安にとらわれ、心を病んでいく。ユングはこのような現代の病に対する治療者として、症状の除去を「科学的」に研究するよりは、その個人としての「神話の知」の発見に努めることが、より本質的であると感じたのである。

ユングは、無意識に存在する創造的な可能性に着目した。無意識は意識の一面性を常に補償する働きを持ち、それを自我に統合していくことが、彼のいう個性化の過程であった。ユングは科学のアキレス腱である「偶然」にも着目した。心理療法を行っていると、因果的連関としては説明不能な「意味のある偶然の一致」の現象に、あまにも多く遭遇するのだという。夢と現実が一致したり、偶然の出来事が治療の過程で決定的に役立ったりする。ユングは、このような事象は因果律によっては把握しえないと考え、そこに「共時性=シンクロニシティ」の原理をたてることを提唱した。事象を全体として共時的に把握し、そこに意味による連関を見出そうとする。これは全体の「相」を読み取ることであり、易経などに示されているように、東洋には洗練された知が伝わっていた。そのために、ユングは東洋に対する尊敬の念を持っていたのである。

ただし、ユングは西洋の代わりに東洋を、科学の代わりに神話を、というように単純な置き換えを行ったのではない。ユングは種々の対極性を認め、それらの間の「均衡」こそを大切とするのである。一見対立するかのように見える二つのものが、むしろ相補的に働いて「均衡」を保ち、そこにひとつの全体性が存在することをよしとしたのである。対立する極のどちらかを中心として固い「統合」を目指すときは、他の極とそこに属するものを排除しなければならない。対極を排除してできた統合は、平板でもろいものであることをユングは強調した。

西洋ように一神教を信ずるところは、多神教に比して「統合」に対する欲求が強い。このような一神教的統合性の希求と近代科学の合理性が結びついたとき、その統合は極めて一面的な性格をもつことになったと、河合隼雄はいう。人間の管理する社会は、神や神話が統治する国よりも、人間の魂の自由を許さない、と河合隼雄は表現している。

現代は中心を喪失し、「統合」よりも「対極による均衡」を求める時代だとすでに述べたが、これは、「中心は無である」ということに繋がるという。均衡の中心に据えるものは、ある種の曖昧さを持つものでなければならない。均衡による全体性の存在を表現するとき、「全体性」というからには、そこには統合があるはずである。しかし、その統合は明確な中心をもった論理的整合性によって成立しているものではない

そして、神話の知は、メタファー、シンボルによって語られる。メタファーは、対立物を合一させ、周辺部のものを中心部へと結びつけ、思考の中に感情を盛り込む働きを持つ。例えば、「魂」を「風」というメタファーによって語ろうとするとき、「風」という言葉で伝え得るもの、「風」そのものだけでなく、風を肌に感じるときの気持ち、風によって動く草の波立ちを見て心の中に立ち動くものなど、すべてを包み込むものとして、「風」は「魂」のメタファーであり得る。言語化しがたい心の動きをそこにもたらすのである。

人間がこの世に真に生きるためには、個々人にふさわしいメタファーの発見と、その解読を必要とすると、河合隼雄はいう。そして、メタファーの解読は、一生をかけた努力を必要とする。ここで冒頭の「お前の神話は何か---お前がその中に生きている神話は何なのか」という言葉が再度思い出される。自分の人生は、どんなメタファーで表現されるのか。私の人生は、どのような物語として語られるのか。それがつかめたとき、不安から解き放たれるのであろう。

さて、先ほどの「中心は無である」という概念が、第二章の日本の神話の解読に繋がっていく。

(次号に続きます)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?