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河合隼雄を学ぶ・26「生きるとは、自分の物語をつくること」

この本は、河合隼雄と作家の小川洋子さんの対話をまとめたものである。

小川洋子さんの「博士の愛した数式」は、映画化もされたが、非常に好きな小説である。優しさに満ち溢れた物語である。

ふたりの対話の中から、印象的なところを記していきたい。

<河合>「(魂の話というのは)何時どのように言うか考えて言わないといけないのやけど、僕は文学が一番それが書けていると思っているんです。だから僕がはじめに心理学の人たちに魂のことを話すときに使ったのか、児童文学です。児童文学が、一番すっと魂のことを書けますから。ルート君が博士にものを言うときみたいに」

<小川>「よけいな常識とか理屈とかなしに」

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<小川>「私は小説を二十年近く書いているのですが、ときどきインタビュアーに『なぜ小説を書くんですか』と無邪気に質問されて、たじろいでしまうことがあります。人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています」

<河合>「私は、『物語』ということをとても大事にしています。来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような『場』を提供している、という気持ちがものすごく強いです。だからこそ、私のところに来られるような人たちは、小説を読んで救われたり、ヒントを得たりするんでしょう。苦しみを経ずに出てきた作品というのは、その人たちには、魅力がないんじゃないかと思いますね。

<小川>「患者の方の深い悩みに付き添って、どこまでもどこまでも下へ降りていくと、河合先生は以前おっしゃっておられました。小説家もやはり、小説を書いているときは、どこか見えない暗い世界にずうっと降りていくという感覚があるんです。

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<小川>「(金光教において)神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるのを見て、心を痛めている。ですから信者たちは神様を救うために、悲しませないために、信心をするんです」

<河合>「神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。キリスト教は『原罪』が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。

<小川>「情緒的というか感情的なんですね」

<河合>「だから僕は、『原罪』に対して『原悲』があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて、原悲から出発してるから、と言っているんです」

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<河合>「(科学技術のような)厳密さと、(日本人特有の)曖昧さを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今、ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というものはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと。そして、それをごまかさない」

<小川>「矛盾との折り合いのつけ方にこそ、その人の個性が発揮される」

<河合>「そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない」

<小川>「そこで個人を支えるのが、物語なんですね」

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<河合>「カウンセリングは、ちゃんと話を聴いて、望みを失わない限り、絶対大丈夫です。でも、(できると言っていたことができなかったりして)こちらが内心望みを失うとするでしょう。そうしたらもう駄目なんですよ。『アカンかったわ』と言われたときに、こちらがちゃんと望みを持っていることが大事なんです。「行けなかった」と言われたとき、「でも行けるよ」と言うたら、行けなかった悲しみを僕は受け止めていないことになる。ごまかそうとしている。「そうか」と言って一緒に苦しんでいるんやけど、望みは失っていない。望みを失わずにピッタリ傍におれたら、もう完璧なんです。だけどそれが、どんなに難しいか。

僕は『頑張りや』は言わんと別れるんですね。『あなたが持ってきた荷物は、私も持っていますよ』という態度で別れる」

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(小川洋子によるあとがきより)

物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。

内面の深いところにある混沌は、論理的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心をひとつの全体とし、さらに他人ともつながってゆく、そのための必要なのが物語である。

生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。

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