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29歳の誕生日。はやくも「中年の危機」を迎える。

5月に結婚式を挙げる。
「少し早いかな」と思いながら半年前から動き出したら、ゼクシィの相談カウンターでは「遅い」と急かされ、式場では「もう来週には予約取れませんよ」と脅され、結婚式の洗礼を味わった。

やっとこさ日取りを決めたら「次までにこれを書いて送れ」と宿題を出された。その日初対面のプランナーから出されたのは、これまでの「自分」について根掘り葉掘り答えるアンケートだった。

このアンケートこそがnoteを始めようと思ったきっかけになる。
 子どものころの家族の思い出
 人生で一番楽しかったこと、辛かったこと
 新郎新婦のなれそめ
 これからの人生について
さも「あなたの人生はハッピーだったよね?」と強要されたような気分。

群抜きで筆が進まなかったのは「家族」について。
随分と苦手意識がある。

正直なところ、家族、特に子どもの頃はあまり覚えていない。
3年生までピアノを習っていた。やめたのはなんでだっけ…
同じころに親が離婚した。理由は今も聞いていない。
その他、多くを占めるゲームの記憶。
……で、それは結婚式で話すことなのか?

何を書くべきか、うんうん唸る僕の横には、あれこれ反芻するように幼少を語れる嫁氏(仮)がいた。
日々、多様な悩みを抱える若者に出会い、その背景にある「家族」の様子も見聞きするが、彼女の話を聞いているときほど「家族」というものの差を痛感したことはない。
どうにか当たり障りない話を書き上げ、そのまま封印しておきたい資料にすぐに開けられる封をしてプランナーの元へ郵送した。

結婚式で話すハッピーなストーリーに苦しむ人ってどれくらいいるのだろう?僕にとって人生で一番辛かったことは、今この瞬間なんじゃないかと思うくらいに

――前置きが長くなってしまった。びっくりするほど話がそれた。

そんな苦しみを味わいつつも、アンケートは人生の良い振り返りだった。
自分というものを説明するものの少なさに気づいてしまった。

29歳ってもっと人生の立ち位置とか見えてくるんじゃないの?
社会人生活も5年近くなると、ひとつくらい成し遂げたことがあっても良いんじゃないの?

僕には何もない。
そんな不安がどっと押し寄せている。

ミッドライフクライシス(=中年の危機)

小中高と特筆することのない人生を送る。
東洋大学に入学するも、勉強そっちのけでNPO法人IVUSAで沼にはまる。
卒業後で認定NPO法人育て上げネットに入職。

当時、IVUSAの「現場が第一」の精神で支援職を志したものの、相談内容をひきずってしまう悪癖で、半年後にはメンタルが限界を迎え(ほぼ)無断欠勤をかます。

10日後、当時の理事に呼び出され「クビかな…」と思いながら本部のある立川まで行ったら、裏方の仕事のほうが得意そうと異動が決定。

その判断は的中していたようで、5年近くもいろいろとやらせてもらっている。とはいえ、自分という存在を社会にアピールできるような仕事は変化をもたらすことができたのかと言われれば、小手先でやっているような気もして不満はないが、満足はしていない。

このまま良いのか?
本当にこれでよいのか?

......もしや良く映画で観る中年の危機というアレだろうか。
アメリカンビューティーバードマンとか…
ちょっと早い気もするけれど、実績というか、自分を証明する社会的な評価みたいなものを欲しているには理由がある。

「血筋」について

昔から「何者か」になりたい願望がある。
さも、希薄な家族関係の幼少期を装ったが、あれは嘘だ。
実際には、こんなネガティブを誕生日に書き連ねる才能を開花させるには充分な環境があった。

母は高柳蕗子の名で歌人をやっている。
歌人集団「かばん」に初期から関わり、いくらか本も出版している。

祖父の高柳重信は教科書にも載る前衛歌人。
石川啄木の横に名前があったりする。
ちなみに祖母はアメリカで画家をやっている。

大叔母にあたる高柳美知子は性教育分野で活躍。
小学館が発行していた雑誌「小学〇年生」のいくつかで連載。
※僕の祖父母は物心つく頃にはなくなっていて、この人に祖母のようにかわいがってもらった。

――なんだこれは…文化人ばかりじゃないか。
なんで揃いも揃ってwikipediaに記事があるんだ。
高柳家はアイデンティティ詰め込みすぎじゃないのか?

彼らを前にして僕は「何もない」といつも思わされる。
このままでは、彼らに並ぶことはない。
何かしなければ。

リアルとネットをリンクしてみる

危機感はなにも今に始まったことではない。
28歳だった僕は、同じように自己を証明する手段を探して、多方面に手を伸ばした。中でもブログは大事なことを気づかせてくれた。

毎日、書き続けたブログはPVもある程度あって、学びも面白さもあった。
ただ、匿名だったのが良くなかった。
どれだけ記事を書いても「自分」が評価されている感覚がない。

ネットとリアルの偶像がズレると、生きるのが逆に難しくなる。顔の使い分けが増えてストレスがたまる。
ついでにいうと評価軸が2本になるので、片軸で満足できても、もう一方の軸は相変わらず、みたいなことが起きてしまう。ようするに、どれだけネット上の人格が上手くいこうが、それが元来の欲求解消にはならないことに気付いた。

そんなわけで29歳を迎えた今年は、匿名ではなくて、ネットのほうでも自分の名前を使って物事を書いてみることにした。何か変わるかもしれないし、何にも変わらないかもしれない。

なにかご関心をお持ちいただけましたらご支援お願いします。文章書いてよかった、誰かの支えになれたと励みになります。