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弱さということ|ガラスはガラスという特性なだけだから

ここのところ自分の中に、弱さや生きづらさ、マイノリティといった事柄に向けられる、「まなざし」を感じられるイベントの体験が、蓄積されてきた。

荻上チキ×ヨシタケシンスケ『みらいめがね それでは息がつまるので』を読み…

そこから、萩上チキさんがファシリテーターを務めるトークイベントを聞きに行き。

書店で見かけて、このタイトルに引っかかって買ってみたら、これも『相手を弱者にし、切り離す』というコミュニケーション構造について問いかけていて。

そして、noteのイベント紹介で見かけて早速申し込んだこちら。

盛りだくさん。

それらに対して、自分の中で何が起こっているのかな?と、掘り下げてみたのがこちら。
(これはまだ掘り下げている途中で、意見を言い切った感が得られぬまま公開したら、私のnote史上一番読まれたのだった)

み、みんな…
涼しい顔に見えて、実は何がしかの違和感を抱えながら日々を生きていたの!?

というわけで、今日は『弱さ』に対して、行けるとこまで掘り下げてみる。
弱さ「祭り」である。
(ふざけているわけじゃないよ、書き始めたのが3月3日のひな「祭り」だったから)

私も弱さがあり、生きづらさを抱えている

自分の弱さや生きづらさに目を向けるとき、私は自分の要領の悪さを思う。『もっと普通にできたらいいのに』

しかし、「普通」という単語は何かと、常識と思っている「手垢」にまみれているので、これを丁寧に磨いていくと、こうなる。『他の人のように、何ごともうまく間に合わせられたらいいのに、私にはそれができない』
過敏に反応して、相手をビックリさせてしまう。
変なところにこだわって、相手をイライラさせてしまう。
何気なく発した言葉で、相手を傷つけてしまう。
だから辛いなぁ、と。

弱さや生きづらさといったものは、周りとの関わりの中で、孤独に噛みしめるもののような気がする。

私が弱さを痛感し、自覚したのは24歳のとき。
書き出してみるので、よかったら、読んでみますか。
社会人となって、日々をギリギリの状態で生きていて、当時住んでいたアパートの大家さんとのトラブルを引き金に、朝目覚めたとき、体を動かすことができなかった。

涙だけがつうっと流れて、(わー、ドラマみたい)と、他人ごとのように思ったのを、今でも覚えている。

うつ病なのだと診断が下されて、会社には休職させてもらい、実家で一年静養した。

当時は細川貂々さんの『ツレがうつになりまして』が発売されたばかりで、私も家族も会社も、きっと社会も、弱さや生きづらさに対してどうしたらいいか、まったく分からない時代だったのだと思う。

私はうまく静養することもできなかったし、うまく元の会社に復職することもできなかった。再び実家に戻ったわけだけど、どうしても『人並みに仕事をして、生計を立てたい』という思いが根強くあるために、自分の状況をかえりみず、アルバイトから始めてお金を貯め、家を出た。

両親はきっと心配でたまらなかっただろうけど、「新しい生活には何かと物入りだから」とまとまったお金を渡してくれた。
感謝しかない。

しかしそうして飛び込んだ会社の体質に、初日で違和感を感じていたのに、それを『根性で何とかなるんじゃないか』と抑え込んだがゆえに、結局はアレルギー反応(もうダメだ)を起こし、1年ほどで離職することに。

『どうして長続きできないの』両親だけでなく、私も思うのだけど。
今思うと、ひとりで生計を立てなくちゃ、と強く思うがゆえに、やりたいことよりも出来ることや額面で職を選び、それが雇用側の『これだけ出しているんだから』という高い期待に基づいていることと、自分が提供できることとの間に、大きなギャップを生んでいることから目を背けさせてしまうのだから、長続きせず、体調を崩すというかたちで破綻するのもさもありなん。

自立する、独立する、ひとりで生きていく。
それらの言葉も、手垢にまみれていなかったか。

私は長い時間をかけて、家出を試みてきたのだろうか。今の大阪での生活は、何とか自分が心地よく生きられる場所に…と、流れ流れてたどり着いた場所。大阪、愛している。冬でも暖かいし(めったに気温がマイナスにならないって、私にはとても重要で)

辛かったな。
両親の心配に、安心させられてあげないことに(ここにも少し違和感あるけど、それは別に掘り下げる)。
自分の弱さに打ちひしがれ、生きづらさを抱えていると、助けを求めて大丈夫なひと(時には行政などの支援団体も)とも、うまく関係が結べない。そこもね。


そんな生きづらさをこう表すのか、と目からウロコだったこと

それは荻上チキ×ヨシタケシンスケ『みらいめがね それでは息がつまるので』の中で。
ふたりによる素敵な対談を見つけたので、引用しながら、そのウロコ(?)について述べる。

この本を読んで、私がいいなぁ、と感じ入ったのは大きく2点。
『生きづらさ』というテーマに対して綴られる、チキさんの(時には当事者としての)率直さと、そこに対するヨシタケさんのアプローチ。

私はとりわけ、本書の第3話が大好き。
それに言及している、上のインタビュー記事から引用する。

(萩上さん)
うつ病とかいろんな生きづらさを抱えている人たちがいて、「そのことを言い出しにくいよね」っていう感覚と、「それでも周りがよりサポーティブに関われる状況になるとハッピーだよね」っていうことを、うつ病の苦しみの中で書きました。

その文章に対して、ヨシタケさんが添えたイラストというのが…まさに目からウロコだったのだ!
(※インタビュー記事内で、そのイラストが見られます)

新薬を使うと、うつのつらさが髪の癖になって表れて、周囲の人にも分かるというもの

ヨシタケさんの視点って、独特で、クスッと笑えて、大好き。
上の対談の中でも、「テーマから外れずに、それでいて本人を描かない。それが、どの仕事にも共通しているアプローチの方法」ってあって、そういうことだったのかー!と膝を打ったものだ。

私の髪の毛も、その新薬でクセが出せたらいいなと思う。
私も周囲にも、分かりやすいから。
私が実家で静養していたとき、この髪のクセがあれば、両親もどうケアすれば良いか、分かりやすかっただろうに。


つらさが私にも周囲にも分かりやすいと、どうなるか

「大丈夫?」って、気遣う言葉。
私はいつも、答えに詰まる。
「大丈夫じゃない〜、また元気になったら会おうね!」って入力しながら、何で自分は大丈夫じゃない状況なのに、問いかけた方を気遣う言葉を返してるんだ?と我に帰ることがある。

何にとらわれているのかな。
正直な気持ちを見据えてみたら、「大丈夫?」って問いかけは、「好きじゃない」って出てきた。

だって私、『大丈夫』から『全然大丈夫じゃない』まで、各種取り揃えて日々を生きているので…
冬は日光も弱くなるし、心身ともによくずーん、となるんだけど、すごく綺麗な色を出せた!とか、ずっと眺めていたい表情が描けた!っていうとき、とても『生きてるなぁ』とも、思っているし。

色々取り混ぜて生きていること、またね、また次、お互い良いタイミングで繋がれたら素敵だよね、という理解で、その都度周りと関係を結べたら、いいなぁ、と夢想している。

だからこういうとき、つらさが髪の癖になって表れて、周囲の人にも分かるとしたら、すごくいいな、と思う。お互い関わりやすいもの

ガラスはガラスっていう特性なだけだから。
心配ってフィルターで覆わなくても、いいからさ。
今度一緒に、ひなたぼっこでもしましょう。ガラスは日光を通すと、楽しいよ。


弱さに関して、私が愛してやまない書籍を紹介する

それは、泉谷閑示『「普通がいい」という病』。
もう15年も前に出版されているのか…

この本はね!古典や詩からの引用もあって、本っ当に素敵なの!(私は、大好き過ぎるものに対してつくづく語彙がない)

泉谷さんは1999年、精神科医としてのキャリアの途中でフランスに渡り、パリ・エコールノルマル音楽院に留学したという経緯の持ち主。
本文のいたるところに、細やかな感性を感じるところが、好き!

一番心に響いたのが、茨木のり子さんの詩の引用。本文では「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな」から抜粋されていたけど、ここでは全文を引用する。

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

(『汲む―Y・Yに―』(茨木のり子詩集・思潮社)より)

…ね?

「頼りない生牡蠣のような感受性」

「年老いても咲きたての薔薇 柔らかく」

「震える弱いアンテナ」

それらを鍛える必要は、少しもなかったのだな…!

茨木のり子さんも、大好きなんだよなぁ。自分の感受性くらい、わたしが一番きれいだったとき。

中学か高校の教科書で「夏草しげる焼跡にしゃがみ/若かったわたくしは/ひとつの眼球をひろった/遠近法の測定たしかな/つめたく さわやかな!」この言葉に出会ったとき、胸をうたれたなぁ。

ここでふっと思ったんだけど。
私たちは揶揄(やゆ)する、ということにもっと意識的になったらいいと思う。
揶揄:対象をからかって面白おかしく扱うこと、皮肉めいた批判によって嘲笑的に扱うこと
こういう、教科書での出会いに感動している私に、勉強の押しつけられ感への反発から、「バカみたい」「意味わかんない」「こんなことにいちいち反応するなんて」という視線も向けられていたこと、気づいていたよ。
だけど大人になったら一層、歌、ドラマ、映画、小説など『震える弱いアンテナ』によってなされた『仕事』に、こころを救われることも、あるんだから。

話を元に戻す。
そういった言葉を引用しながら、泉谷さんが『「普通がいい」という病』で伝えたい、力強いメッセージは、

今、私たちが取り組まなければならないのは、人間という生き物の根本的な特性を深く理解し、その上で「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復することです。

もう一度、自分で感じ、自分で考えるターンに。

今からだって、そう生きられる、と思えば力も湧いてくる。

ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!