見出し画像

それでいいのだ、中受に失敗なんてないのだ

こんにちは。我noteを100回書いて次のステップに進む!という目標がかすむぐらい、noteから遠ざかっておりました。(カバー写真は、同じオレンジの手帳を使っていて嬉しくてチョイスさせていただきました。)

なんとなれば!中受こと、長女の中学受験に囚われておったからです。といってもまだ解放されていません。渦中です。

しかし、不合格にショックを受けたり、レジリエントに我を取り戻したりしている最中で、やはりこのことを書くべきだと思いましたので、筆をとった次第です。正確には、キーボードの指紋認証に指を乗せた次第です。

このこととは、そう、人生に失敗なんてないのだ、ニャロメ!ということであります。

私は学歴社会では勝ち組かもしれませんが、公立一辺倒で生きてきたので私立の世界を知らず、ちょっとのぞいて見たかったという好奇心もありました。もちろん娘の希望もあり。

お恥ずかしながら、今の所、長女は全オチしております。全オチとは、全部の話にオチをつける、ではなくて、全受験校から不合格通知をいただく、とのことです。

親ばか的に、うちの娘なら小6の夏休みから半年ぐらいでも中受をクリアできると軽視したからなのか…?勉強の休憩時間に、無音でクリアできるぐらいに音ゲーを極めていた娘を注意しなかったからなのか…?それとも、そもそもおバカなのか?

いや、どれも違うかな。そもそも、中学受験しかり大学受験などなど、受験には運が占めるところが大きいのであーる。最低限の努力さえするならば。

人生、世の中で学ぶべきことなんて無限にあって、そのほんの一部が学校で学ぶカリキュラムになり、それまたごく一部が受験科目とその範囲になっている。受験当日にテストであたる問題なんてそのまた一部で、すごい確率を引き当てなければいけない。

それでも、その確率を少しでもあげるべく受験という狭い世界を極めて、受験戦争という競争を勝ち抜くことは簡単ではないから、そこでがんばることは、己を鍛えることにはなる。

でも、まだ成熟しきっていない幼い頭と身体でがんばるためには、何故勉強するのか、という根本的な問いに邪魔されないように答えを決めておかなければならない。でなければ、苦しい競争の中でモチベーションが続かない。

わかりやすいモチベーションが、医者になりたい、いい大学に行きたい、というものだ。金持ちになりたい、とかもあるかもしれない。ただ、金持ちになるのはもっと多様な要素があるので、正直学歴要因はそれほど大きくないと思う。

と、調べてみたところ、学歴が賃金に影響しないというエビデンスがありました!

DNAがまったく同じ双子が、高校や大学などの教育環境が違うからといって、賃金には差がないということだ。残念!いや、むしろ希望?!

じゃあ学歴社会ってなんなんだ。幻なのか?いいえ、存在するのは、中卒と高卒、高卒と大卒の壁なのであります。ところが、男女の賃金格差の方がさらに大きかったり。そここそが、解消すべき格差ですね。

母親の狂気がないと戦えないと言われている中学受験の実態は、ちっこいちっこい差で、それどころか将来賃金には関係ないのでした。中学受験で勝っても金持ちになる保証はありません。「2月の勝者」は中学受験の物語性にスポットライトをあてていて、面白いですが。

うちの娘は、漫画「コウノドリ」を読んで医者になりたいと言い出した。では、医者は?国家試験通らないとなれないよね?国家試験って日本の大学出ないと受けられないよね?そして国立大学じゃなかったら、医学部って死ぬほどお金いるよね?

この問いにアッパーカットをぶちかます回答が…

ネタバレしちゃうと、海外の大学に留学するそうです。海外の大学の医学部は、研究のレベルが高くても偏差値50程度で行けるところもあるとのこと。語学力と留学するお金は必要なのだけれど、日本の白い巨塔で汲々としているよりも、グローバルな視野が身につくメリットは大きいだろう。

ということで、本気でなにかになりたければ、道はひとつではないということ。そもそも受験の世界で、本気で医師になりたい人がどの程度いるのかは不明だが。受験=医学部を目指すという偏りについてはまた別の話で。

私自身、研究しながら比較しない幸せを追求しているにも関わらず、簡単に隣の芝生を指くわえて眺めてしまう。その中で、娘の将来を全オチごときで勝手に塗りつぶすところだった。あぶない、あぶない、あぶない刑事。

全オチして、一校ぐらいは合格させてあげたいといろんな中学を調べてみると、いい中学はたくさんある。娘とYouTubeで学校紹介を見ているとワクワクしてきた。

てゆうか、そもそも「いい学校」てなんだ。進学実績なのか?
否、本人が生き生きとやりたいことを実現できる場所ではないかしら。それって公立中学でもいいのよね。

学校は社会に出るための準備をするだけの場所ではなくて、その時その時しかない一瞬を味わう場所だ。

親にできることは、できる限りの選択肢を与えること。その選択肢が間違うこともあるだろうし、間違っていたら撤回して土下座100回だ。親だって完ぺきじゃないし、時代も変わっていく。絶対的な回答なんてなくて、その時その時を親子で味わうだけなのかもしれない。

中学受験で底のような中学でも、素晴らしく校舎はきれいで、海外や大学と連携したカリキュラムを持っている。中学受験ができる、というだけで、家庭の経済状況や親のサポートがあるという大きなフィルターがかかっていることを感じた。

まあ、娘の全オチは笑うとして、社会が解消すべき格差はもっともっと違うところにあるという認識をあらたにしました。この経験をさせてくれた娘に感謝です。

何の役にも立たない中学受験の話でお目汚しいたしましたが、あなたが何歳になっても、学びが希望であふれ、学びによって未来が明るく照らされますように。ホナ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?