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イーディス・パールマンを繰り返し読む

2023年はイーディス・パールマンという短編小説作家を知って、その作品を繰り返し読む年でした。現時点で邦訳は『双眼鏡からの眺め』(早川書房)、『蜜のように甘く』『幸いなるハリー』(ともに亜紀書房)の3冊が出ていて、そのどれもが本当にすばらしかった。人間あんまり見事なものを目の当たりにすると呆然として言葉を無くしてしまうものだけれど、イーディス・パールマンの作品群にもそういうものがあった。一編読み終えるごとに力なく頭を振るような

作者は登場人物たちに入れ込みすぎない。共感のぬくもりがぎりぎり失われない程度に距離を置いて、彼らをじっくりと観察する。登場人物たちが抱く感情や行いが良いか悪いか、適切かどうかが判断されることはなく、研ぎ澄まされた平易な言葉で彼らの姿は伝えられ、人間という存在の不可思議さが描き出されていく。

ロウズは唇を堅く結び、わびしい聖櫃に目を据え、娘たちのために祈った。絶対に悲しみを与えないでください、と。でもそんな望みを叶えてくれる神なんている? いやしない。それでロウズは実際的な言葉で祈った。三人とも、子ができませんように。

「坊や」『幸いなるハリー』より

同じ町内の子供の死を目の当たりにし、こんな悲しみが存在するのなら自分の娘たちには子供ができませんようにと祈る母親がいる。

 ラースは彼女のほうに顔を向けたが、目は別のところを見ていた。
 彼女は彼が見るまで待っていた。ようやくラースが彼女の目を見た。
「ヘピアルス・レムベルティ(キマダラコウモリガ)」彼女は彼に褒美をあげた。彼の目が一瞬彼女の目と合い、瞳が瞳を貫いた。セックスとはこういうものかもしれない、と彼女は思った。

「ジュニアスの橋で」『双眼鏡からの眺め』より

昆虫の学名しか口にしない宿泊客の少年に、不適切に思われるほどにシンパシーを抱くホテル経営者の孤独な女性。

ここには単純な喜怒哀楽も、わかりやすい起承転結もない。あの人の笑顔は、言葉の意味は一体どういうものだったんだろう。自分はどうしてあのときにあんな言動をしたのか。そんな具合に誰の心のうちにも存在している、整理がついておらず人に話すこともできない記憶の断片や感情の揺らぎといったものを、イーディス・パールマンは短編というかたちで鮮やかに差し出す。それぞれがほんの一口分しかないのに味に複雑な奥行きや思わぬ重なり合いがあって、飲み込んだあとに満足感と寂しさとが同時にやってくる料理みたいな作品群だと思う。

イーディス・パールマンのほかの作品もぜひ訳されて読めるようになりますように!

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