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カイロ〜砂漠の月

フランクフルト経由でカイロ空港に到着したのはマウイを発ってから33時間後、現地の真夜中過ぎのことだった。

今回の旅は女性ばかりの9人グループ。” Journey into the Heart of Egypt” というコンセプトで組まれたリトリートツアーで、エジプト、マウイ、カリフォルニアから集まったアメリカ人以外には日本人が私のみ。9人のうち知り合いは1人しかいない。年齢層は20代前半から50代後半まで。離婚経験者6人、魚座4人、レズビアン2人で、皆我が道を行く個性派ぞろい。エジプトへ向かう長い旅路中既に、その協調性のなさで緊張感の走る場面があり、ようやく着いたカイロだったがそこで感じたのは安堵感ではなかった。

宿泊先に向かうバスの座席に座って夜に霞んだカイロの街を眺めながら感じたのは先ず “未知との遭遇” 。初めて耳にするエジプト語、肌に吹き付ける乾いた砂の混じる温かい風、夜の帳という形容がぴったりの空の存在感。月までもここでは違って見える、アラビアンナイト。アフリカ大陸の北東端にあって隣国はイスラエル、中東に地続きなのだ。

バスの車窓からエキゾチックな街並みを眺めるうちに私の感覚はさらに”過去との遭遇“へと変わっていった。大通り沿いに並んで建つレンガの箱型アパートメント。薄暗い街頭に目を凝らすと舗装されていない奥のマーケットには大勢の人がたむろしている。カイロは眠らない街だそうだ。たむろする人々と雑多な路地、砂塵の舞う霞んだ夜の空気感が、25年も前に住んだ北京を彷彿とさせた。当時の中国での暮らしはカルチャーショックの連続だった。若くて未熟だった私には楽しい思い出とは言い難く、今では過去生のことと笑って冗談にするほどの昔話と化している。”O-oh そこには触れたくなかったなあ、こう来ますか、まじですか?” と、その瞬間気付いてしまった。私がエジプトの旅を通して触れようとしているのは、この場所に封印されている古代の神秘と叡智だけではなく、私自身の内面に封印された思いと記憶であり、それを手繰ることに大事な意味があるのだ、と。自分の内面に封印された記憶とは今生だけのものではなく、脈々と続く前世からの記憶、そして未来へと続くアカシックレコードのようなものでもあるのだろう。

はるばるやってきた未知の土地。グループでいながら協調性がないことはかえって自分の内にこもりやすい有難い環境とも言える。
着いた宿の名前は”desert moon”砂漠の月。屋上に上がると近所のモスクから礼拝を促すアラー神を讃える祈りが朗々と響いてくる。夜明け前、紫がかったオレンジに染まった砂漠の真ん中にはピラミッドが、月を背景に堂々たる存在感でそびえ立っていた。

Journey into the Heart of Egypt. エジプトのハートの中へ。そこは私自身のハートとも繋がっている。自分自身の内面への旅行記が今始まった。

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