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ピラミッドの中へ

その夜、宿の窓からは赤くライトアップされたピラミッドが見えていた。ここからの視界に入るのは宿の前の通りと、その向こうに広がる砂漠とピラミッドしかない。空はいつも砂に霞んで見える。夜になるとピラミッドと星月しか目に入らなくなって、霞がかっているのが余計に幻想的な雰囲気を醸し出す。明日はいよいよ大ピラミッドの中に入るのだ。ちょうど蠍座満月のスーパームーンで夜明け前午前3時22分には皆既月食になると聞いた。エジプトの地で皆既月食を見てみたい気持ちはあったが、それよりも十分な睡眠をとって体調を万全に整えておきたい。期待と緊張の入り混じった遠足前の子供のような心地で眠りに入った。体感のある生々しい夢でハッと目覚め、皆既月食のことが脳裏をよぎったので時計を見ると、3時21分。目を疑ったが、確かにそれは皆既月食1分前だ。月に呼ばれたのだろうと思った。強烈な夢も月の為せる仕業かもしれない。ここはピラミッドの目の前なのであらゆる物が濃く強い。月の引力も強く感じられるのかもしれない。屋上に上って皆既月食を眺めようかと迷ったが、目が冴えてしまうのは嫌だったし、感じるだけで十分だと思ってそのままうつらうつらしてまた眠った。

当日の朝は夜明けの太陽がひときわ赤く見えた。集合場所の屋上に行くと、ふとバラが目に入った。赤いバラ。エジプトという砂漠にもバラが咲くのかと意外な気がしたが、そういえばクレオパトラとバラのエピソードがいくつもあったことを思い出した。そんなことを周りの人と話そうと思ったが、誰しもピラミッドに思いを馳せていてバラに気を留めているのは私だけらしかった。

迎えに来たバンに乗り込み、15分ほどでピラミッドに到着した。目の前に巨大にそびえ立つ乾いた石の山。これが建造物とは思えない、山、という形容の方がピッタリだ。紀元前2500年にクフ王の墓として建てられたというのが通説だが、この巨大ピラミッドからはミイラも見つかっておらず、そのスケールと建造技術の高さ、星との位置関係、地球上のレイライン上に位置していることなど、ミステリアスな謎に包まれたままで現在もその発掘調査は継続されている。ピラミッドの王の玄室への回廊は日本、島根の出雲大社の古代本殿への回廊の角度と長さが同じで、王の玄室と出雲本殿は大きさも同じだという。その偶然は一体どう説明がつくのだろう?

照りつける太陽が花崗岩に反射して眩しい。隙間なく積まれた石の階段を上っていく。入り口は、正規のものではなく盗賊に開けられたものであろうという小さな入り口が現在は観光用に使われている。ピラミッドの中に入ると、眩しかった屋外とは対照的に暗く温度もひんやりとしている。通路は人が一人通れるだけの幅しかなく、屈まなくては通れないほど天井が低い。薄灯りを頼りに屈んで一歩一歩前へ進む。暗く狭い通路を、誰も会話を交わす余裕はなく、ただ無言で足を前にひたすら踏み出す。ひんやりと感じたはずなのに汗が滝のように流れる。ピラミッドの中は不思議なヒーリングパワーがある、とロシアの実験で証明されたそうだ。そして回廊の壁には、歴史上の重大な出来事、キリストが磔になった日や第一次世界大戦、911のテロ、そして今回のパンデミックまでが預言として年表のように刻まれているというが探してみる余裕など全くなく、そんなあれこれを思い出したのはピランミッドを出た後のことだった。

どれほど歩いたのだろう。王の玄室についた時には時間の感覚もつかめなくなっていた。床に石棺が置かれただけの石の壁の空間。やっとついた、という疲労感。流れる汗をぬぐいながら、裸足になって壁に背をもたせかけ、硬い石の床に座って目を閉じた。音はないのに、グワーンといううなりのような音なき音がしているようだ。背中を通して壁からまるで生命力、とでもいうような力強さが伝わってくる。低く声を出すとすごい音響なのがわかった。周りに離れてそれぞれ座っていた仲間のことも存在していることは感じていたがそれ以上でもそれ以下でもなかった。目の前に横たわる石棺。中を覗き込むことも躊躇うほどの何かがそこにあった。これも後で思い出したのだが、かつてナポレオンがこの石棺の中で一人で一晩過ごし、命からがらのていで出てきたという逸話もある。選ばれたものだけが秘儀を授かるためにこの石棺の中に横たわり臨死体験をして特別なパワーを授かったという神秘主義/女神崇拝の説も聞いたことがある。でもその時、その場では何も考えられず、ただただその空間の圧倒的パワーに浸っていた。この世とあの世との境が限りなく薄いという表現をしたらいいのかまたは、別次元とつながっていると言えばいいのか。考えはもとより、感覚でもない何かが研ぎ澄まされていた。その何かは言葉に当てはめるなら魂なのだ。私の魂がそこに存在していた。

あの日から半年近くも経って、記憶は薄れ今はマウイにいるのに、魂が経験した感触だけはあの場のあの時のままだ。時も空間もない、というのはこういうことなのだろう。想像の及ばない方法で何千年かひょっとしたら何万年も前に建てられた暗闇の石の冷たい空間で、私の魂は何に出会ったのだろう。

砂の中にそびえ立つ巨大なピラミッドは極めて男性的で、月の力も惹きつける。その昔、ピラミッドは水辺にたっていたという説がある。女神イシスの涙と言われるナイル川のほとりに。またギザの3つのピラミッドは空の星オリオン座と並ぶ形でたっており、オリオン座はイシスの夫オシリスだとエジプトでは信じられている。オシリスとイシスの結びつく場所にあるピラミッド。生命の原点、赤、闇と光の境が交わる場所。

あの日から今も私の問いは続いている。私自身の魂に向かって。私に一体何を見せたかったの?と。


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