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愛道 第七章

神聖なる女性性と男性性 - デイヴァイン·フェミニンとデイヴァイン·マスキュリン


“All these things he will do out of ignorance of the Law,
and as a man dying slowly cannot smell his own stench,
so will the Son of Man be blind to the truth:
that as he plunders and ravages and destroys his Earthly Mother,
so does he plunder and ravage and destroy himself.
For he was born of his Earthly Mother,
and he is one with her,
and all that he does to his Mother even so does he do to himself.”

— The Fourth Gospel of the Essenes, translated from Aramaic by Edmund Szekely

「こう言ったすべての過ちを、彼はこの世の法則を無知であるが故におかしてしまう。死が近づいたものが己の死臭に気づかぬのと同様に、人というものは真実が全く見えていない。 母なる地球を凌駕し、破壊している。それはつまり彼が自分自身を凌駕、破壊しているのと同じことだと。なぜなら彼自身、母なる地球から生まれたのであって、地球にしている仕打ちは自分自身にしているのと同じことなのだから」

-エッセネ 平和福音書より引用

女性らしさ、男性らしさという概念は、いにしえの神話の世界における女神、男神がその原型となって形作られてきた傾向が強く見られます。シュメール、エジプト、インド、ギリシャ、アジア全土など世界各地の様々な文明でそれぞれの神話が語り継がれてきました。日本でも古事記や風土記に様々な女神、男神が登場しますね。

オーストリアのドナウ河畔、ヴィレンドルフ村で1908年、旧石器時代のものとみられる人型の像が見つかりました。わずか11cmのこの像は、女陰、乳房、膨張した腹部から、明らかに女性像だということで「ヴィレンドルフのヴィーナス」と呼ばれ一躍有名になりました。その後、近辺では次々と同様の女性像が出土し、それらは約3万年前、中には5万年前に作られたものもあるといいます。その土地では取れない石灰岩でできていることなどから、ヴィレンドルフのヴィーナスは他の離れた土地から持ち込まれた、また11cmという小型サイズと、立つように作られていない点から、携帯用につくられた女神像だと推定されています。

何万年も前、旧石器時代の人は、なぜ女性を模った像を作り、携えていたのでしょうか。世界各地の古代文明の遺跡からは、女神像だと思われる遺跡が数多く発掘されています。日本でも、約1万3000年前の縄文遺跡から女性を模った土偶が発掘されており、ほとんどの土偶は女性像であるとされています。 生命を育む女性の神秘と力を表現し、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられたと考えられ、当時の人々は女神信仰をしていたと推定されています。

ところが、紀元前1500年頃から鉄器の製造が盛んに行われるようになり、同時代に起こった民族大移動が、それぞれの地域に鉄器を伝え、鉄器時代をもたらしました。鉄の農具や武器が量産されるようになり、農作物などの生産量が増大して富の蓄積が進み、また各地の王がより強力な軍事力を保持するようになっていきました。王たちはやがて蓄積された富と武力を持って周辺地域へ侵略支配へと向かい、軍隊を用いての争いの歴史が始まったのです。

富の蓄積は占拠と分裂を、軍事力は暴力による恐怖支配を意味し、争いと不平等を生みます。それは思いやり助け合う平和とは反対の方向で、私たち人類はそれ以来3000年以上もそんな歴史を繰り返しているのです。

男性性、女性性というアーキタイプに当てはめて短絡的に、競い争い恐怖統治をするのが男性的な性質で、和合と平和が女性の性質として、男性性が悪いと言っているのではありません。そのバランスが大事だとお話ししたいのです。

3000年以上続いてきた争いと破壊の歴史、それは同時に、包括し育み無償で愛するという、人が本来持つ優しい性質を抑圧してきた歴史だと言い換えることができます。世界中の神話に登場する様々な女神たちにそう言った性質が見られることから、そんな優しくもパワフルな性質を神聖なる女性性(デイヴァイン·フェミニン)と言い、人として誰もがその性質を思い出そう取り戻そうと、近年盛んに説かれるようになってきています。

女性性の特質である優しさやゆとり、精神性や直感力や感性を軽視抑圧してきた結果、バランスの欠如がマックスに極まった状態が現代の物質社会だと言えます。過度な競争、管理社会において、戦争、人種差別や民族間の闘争など分離分裂が世界中で起きていています。宗教が違う、肌の色が違う、性別が違う、文化が違う、階級が違う、価値観が違う。違う点ばかりに意識を向け、批判したり蔑んだり攻撃したりする。そして物事を分けて考える癖が発達して、自分のものとそうでないもの、人間とそうでない生物、自分と自分以外の他者との間の分断が過度に進んでしまった。そうして人は自然から離れ、目に見えないものの存在を忘れ感じられなくなってしまった。

今から2400年ほど前に存在したと推定されるエッセネ派の福音書では、冒頭の引用にあるように、現代社会に生きる私たちの直面している問題点が鋭く指摘されています。

第6章では、家族を大切にして幸せにすることは社会全体を幸せにすることにつながる、と書きました。家族を理解しようと努力することで、許しの境地に至ることができる。許すことが癒しにつながると。

丁寧に見つめて、理解共感し、許し癒す。これはまさに、デイヴァイン·フェミニンの性質でもあります。この章では、神聖なる女性性、デイヴァイン·フェミニンにスポットを当ててお話ししましょう。

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