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あゆのお菓子

”今お茶の時間、あゆのお菓子を食べてるところ。”と両親がビデオコール越しに笑みをみせる。”え?私今朝、あゆのお菓子が夢にでてきたよ。あゆのお菓子は好きだけど、それにしてもなんで突拍子もなく、2年も日本帰ってないと里心ついちゃってるのかな〜と思ってたけど。そういうことだったのね、びっくり〜。”

なんか繋がってるね、ってそういうことなんだと思う。

言葉で感謝や愛を伝えることも、もちろんとても大事だ。それは日常絶え間なく積み重ねて行くちょっとした鍛錬だとも言える。そして、そんな意識的に重ねる努力とは別の、それを超えたところ、努力という気張の重力を下ろしたような、言葉の届かないところに、祈りともいうようなキラッとする想いがある。それは夢だとか、ふとした拍子にその人を思い出したり、といった目には見えない耳では聞こえない次元で確信として伝わってくる。確信、として信じていいんだと思う。それが、Faith 信じる心、というものなんじゃないかな。Faith には愛が絶対不可欠で、だから通じるんだと思う。愛が。言葉には出来ない想い、でもそこにある。言葉にならないからこそ余計に光放つパワーなのかもしれない。

私たちのいる世界はやっぱりなかなか面白いなあ、と思わせてくれた些細な出来事でした。

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