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1回、キスしてもらえませんか?(創作)2話


2話 持田が惑う


定時に上がり、青い鳥まで走った。


小雨が降っていたが、傘を刺すのももどかしかった。


青い鳥は市役所からさほど離れていない喫茶店だ。


持田 忠(もちだ ただし)は、朝の最中(もなか)の言葉を反芻する。


最中は、1回キスしたいんだけど。と言った気がする。1回。誰と?ってか、今までしたことないってこと?1回だけ?


わからないことが多すぎて、整理がつかない。


妻の一果(いちか)さんには、昼休みに電話をした。


一果さんは、「最中から相談があると言われたから、青い鳥に寄ってから帰る」という自分の話に、「珍しい!忠君に最中が相談なんてあんまりないじゃない。ゆっくり聞いてあげて。夕飯は手抜きして、子供達と虹子ママのところに行くから、忠君も最中とご飯食べてきて。」と言われた。


一果さんは、自分と最中の中学の先輩だ。妻だが、リスペクトが拭えずその頃からずっと一果さんと呼んでいる。こういう時、出かけてくれる一果さんが好きだ。自分もいつもと違う時間を作るよ、待っていないよ!って最高の気遣いだと忠は思う。


青い鳥に着くと、最中はもう着席していた。


店主の頼(らい)君と話している。


「2ヶ月ぐらい待ったぞ、チューシン。」最中は口を尖らせる。


「体内時計、修理出せ」と意見してやった。


俺も終業まで2ヶ月ぐらいに感じた。仕事に身が入らなかったことは、伏せておくことにした。


店主の頼(らい)君は、3年ほど前にこの純喫茶、青い鳥を祖父から継承した若きマスターだ。


俺たちよりも随分と若いが、俺より最中より落ち着いていて穏やかだ。


頼君の余裕がどこからくるのか知らないが、最中は頼君といる時、中学生ぐらいにみえる。

一緒に生徒会活動をしていた頃を思い出す。


最中は生徒会長で俺は副会長で、最中はいつも明るくて公平で、みんなから慕われていた。


最中はただ、開放的ではなかった。開いている扉はみんなトリックアートで、真ん中の大事なところまで辿り着けない。


最中は、心の底から信頼を寄せるものなどないと決めているようだった。


だから、俺は今も、最中の真ん中の一歩手前まで来た扉の前で立ちすくんでいる。


最中が好きかと聞かれたら、好きだった。と答える。


最中は好きよりも大切が似合う友人だ。


4人がけの向き合う席に移る。


頼君には、仕事の話があると伝える。


頼君は、温かいコーヒーと、片手でつまめるサンドイッチを持ってくると、奥に引っ込んだ。


お客さん来たら教えて。と囁いて耳にワイヤレスイヤホンを入れた。


いい奴だな。


最中はサンドイッチを一気に皿の半分、詰め込むように食べて、コーヒーで流し込むと、カバンから紙を出した。


企画書。と書いてあり、決裁欄がついていて実施してよろしいか?とお尋ね文句が書いてある。


仕事か? と声が漏れる。


あのさ、チューシン。私ね、もう惑うことないよ。やりたいことやれって。って言われたの。


誰に?と尋ねる。


えっ、孔子。最中の答えに講師が浮かんだ。


インチキ講師が過ぎるも、それが偉人の孔子だと3秒で気づく。

孔子は別におまえにだけ言ってないよ。孔子がそう思うよ。ってことだろ。


私はさ、おまえにだけ言ってない言葉を今までぞんざいに扱い過ぎたよね。
おまえにだけ言ってないことは、おまえにも言ってるってことじゃんか。


最中は言った。


誰かと生きることは悪くないよ。とか


対話はまず自分から開いていくべきだよ。とか


幸せになる権利は誰にでもあるよ。とかさ。


まあまあ私には関係ないって思ってたわ。


だけどさ、なんか乗っかってこうかと思って。


私は私を大切にしすぎるのをやめるわ。


誰かの言葉や思いや心にさ、反応したいし変化したいし作用したいんだ。


俺は、こいつ本気なんだ。と思った。


これは1回キスしたいんだな。と。


で、誰としたいの?と俺は質問した。


企画書には、6人の名前がある。


えっ?6人もいるの?


うん、いけそうな順で書いた。最中は、明るい声で言ったがその発想がそもそも失礼である。


あのさ、40の女がいきなりさ、1回キスしてもらえないか?って急に言ってくるのは、どんなお話にカテゴライズされると思う?


俺は冷静に聞いた。


最中は迷うことなくファンタジー!と答えた。


ブー。ミステリーホラー。もしくはサイコ。


俺の答えに、最中はあらま。と口元に手をあてる。


おまえね、甘くないぞ。忠は釘をさした。


企画書には既婚者の名前もある。


どういう人選かは不明だが、ただ最中がこの企画を成功させるのは、ハードルが高いことだけがわかる。


これ、どういう基準で選んでるのという問いに


触れてみたい人。と最中は答えた。


そして、知りたい人。と続けた。


好きな人とは言わないことにどこかでほっとした。


忠は、カバンから印鑑を取り出して、決裁欄に捺印した。


最中、やってみろよ。惑っている暇ないんだろ。


最中は驚いていた。ちなみに驚くようなことに巻き込まれているのはこちらだ。


いいの?と最中は聞いた。


やりたいんだろ?と質問で返した。


最中は、うんと頷いた。その顔は中学生の時の最中だった。


企画書に自分の名前がないことを少しがっかりしたことだけは、絶対に内緒だ。


#創作
#2話



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